満州開拓の真実を学ぶ記念館。
満蒙開拓平和記念館の特徴
満蒙開拓平和記念館は、満州の歴史をじっくり学べる貴重な資料館です。
展示は平易さと専門的知識が求められ、奥深い内容が盛り込まれています。
人が少なく静かな環境で、丁寧に考えさせられる体験ができる場所です。
戦争関連をSNSで調べるうちに、コチラの記念館の存在を知りました。展示されているのは、遠い過去の出来事ではなく、厳しい時代を生きた多くの人々の生々しい記憶と思いです。戦争というどうしようもない現実の中で、夢や希望、そして大切な命がどのように失われていったのか、その事実を突き付けられます。私たちが当たり前だと思っているこの日常は、想像を絶するような苦労と、多くの尊い犠牲の上に成り立っているのだと、改めて敬意の念が湧いてきます。館内の展示をじっくり見て、たくさんの感情が込み上げてきた後、外のテラス席で一息つきました。すぐ横の自販機で買ったアイスコーヒーを飲みながら、湿気が少ない気候と自然豊かな景色と澄んだ空気も満喫しました。お手洗いも清潔でした。歴史を学び、平和の尊さを深く心に刻む事ができる貴重な場所でした。戦争体験の話など、実際に聞く機会もなかなかない現代、歴史を正確に学び、その教訓を未来に活かすためにも、ぜひ、多くの人に訪れてほしいですね。
今の、平和ボケしている日本人が是非訪れるべき場所です。今も日本史を教えていますが、シベリア抑留の悲惨さも知れます。戦争は、人々の生活をめちゃくちゃにしてしまうのだとよく分かります。日本一、満洲への移民を出した県だからこそ分かる、満洲移民が辿った凄惨な運命がそこにはあります。
満蒙開拓平和記念館は阿智村にある満蒙開拓団をテーマにした記念館です。学生のころに授業中に見た「蒼い記憶満蒙開拓と少年たち」というアニメが印象に残っており、阿智村に記念館ができたと聞いていつか見学をさせていただきたいと思っていたのですがかなり遠出をすることになるので迷っていました。そこで飯田から南側へ散策することを思いつき、その時に記念館を見学をしようと思いました。駐車場には車が2台程停まっていました。少しでも静かな環境で見学したいと考えていたのでラッキーだと思いました。記念館が造られたのは2013年になります。飯田・下伊那地域から長野県の中でも特に多くの満蒙開拓団を送り出したという事実から是非記念館を造ってほしいとたくさんの声があり、記念館が造られました。現在では平和学習の1つとして見学に来られる学生さんが多いそうです。受付をすると記念館の奥にある映像ルームで映像が始まったばかりだということで、20分程映像を見ました。映像を見た後は順路に従って記念館の中を進んで展示物を見学していきました。記念館の中は撮影が禁止ということだったので、撮影することができませんでした。満州はかつて中国の東北部分にあった国の名前です。満州へは開拓のために組織された開拓団である「満蒙開拓団」として27万人の人々が日本から渡っていきました。日本各地から特に多くの方が渡った県は長野県でその数は約 3万3000人でした。この数字は他の県の数字と比較するとずば抜けた数字なのです。村によっては村民の2割が渡ったという村もあったそうです。何故長野県から多くの方が満州へ渡ったのかと言うと、当時の農村の家庭では兄弟がたくさんいて中でも長男が家を継ぐのが当たり前でした。次男や三男は家を継ぐことができないために残ることになりました。こうした状態は狭い土地に人口が集中してしまうという問題へと直結してしまうのです。そこで政府が考えたのが満州にできるだけ多い人を送って開拓させようというもので、これが満蒙開拓のきっかけとなります。口べらしと食料の確保の対策のためと思われる満蒙開拓ですが、本当の目的は軍事的なものでありソ連に対しての防御線を構築するというものでした。当時のソ連とは日ソ中立条約を結んでいたことから、戦闘になるとは思われていなかったものの満州はソ連のすぐ近くに接していたので用心しておきたかったのだと思います。日本の政府ではできるだ多くの人々を満州へ渡らせるために「満州に渡れば20町歩の地主になれる」とうたい、各地域では数字を増やしていきました。10代半ばの子供達にも学校単位で満州へ渡ることが推奨・教育されていて「満蒙開拓青少年義勇軍」として将来の開拓団を担う人物となるための訓練がおこなわれました。満州へ渡ると元々住んでいた現地の人々を追い出して土地を確保するということもあり、追い出した現地の人々を開拓団の人々が労働者として雇っていました。こうしたやり方は現地の人々の反感を買うようになっていきます。1945年8月9日になると日本と条約を結んでいたソ連が条約を破棄して満州へ進攻してきました。日本は開拓団の中から戦うことのできる男性を根こそぎ兵隊に動員してしまったので、残された開拓団の人々は逃げるしかありませんでした。この時に開拓団の人々が恐れたのはソ連兵の攻撃だけでなく、日本のやり方に反感を持っていた現地の人々の怒りが爆発して逃避行をしている開拓団の人々を襲撃・略奪の標的としたのです。ようやく収容所にたどり着けた開拓団の人々も待っていたのは病気や飢えや寒さにやられて大勢の人々が亡くなるという現実でした。逃避行の中では子供に生き残ってもらいたいという気持ちから現地の家へ子供をあずけたり、置き去りをしたりしました。現地の男性と結婚をしたという開拓団の女性もいたそうで中国残留孤児・残留婦人といった問題へと繋がっていくのでした。最終的に満州から日本に戻ってきた長野県の開拓団の人々は約1万7000人、残留孤児・残留婦人は約1100人だったそうです。長野県の中でも最大数の戦争被害と言えるそうですが、あまり知られず語られずに事実として確かに残されています。
なかなか行く機会なく、初めて訪問。長野から開拓団で満州に渡る人が全国でも飛び抜けて多かったとか、配置された場所の多くがロシア国境に近い方やったり、色々初めて知ることが多かったです。資料館の本も充実してるので、また訪れてみたい。
開拓団送出多数の長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館、この地にあることの意義が大きいと思います。中国残留孤児の家族探しに尽力した山本慈昭さんのお寺長岳寺の下にあるのも意味深いと思います。満蒙開拓に行った時代背景など、詳しく展示されています。また、満洲に関する書物などもたくさんあり、いろいろ学べます。今、3月21日から26日まで中国人画家王希奇さんが中国ころ島港から引き揚げる500人余りの日本人を描いた「一九四六」という巨大絵画展をしています。一見の価値ありです。ぜひ見ていただきたいです。
開拓団団員20名ほどの彼らの言葉をA4で6ページほどにまとめられている部屋があります。字は大きく、とても読みやすいです。それはとても貴重で、当時の様子がありありと目に浮かびます。それを読むだけでも十分です。そこに書かれているのは、辛く、切なく、哀れで、暴力的で、言葉にならない思いで胸がいっぱいになります。
満州開拓時がよく理解できる資料館でした。長野には日帰り温泉によく行くのですが、意外と見過ごす観光地ですが、自分たちが今、このように暮らすことの大切さも感じる場所でした。もし興味あれば立ち寄る価値ありです。
2022年9月4日の日曜日に訪問しました。ツーリングのついでにちょっとだけ寄るつもりが、気がついたら4時間以上滞在してしまいました。学校ではテストのために年号と名称を覚えただけですが、血の歴史がここには記録されていました。体験者の方の肉声を記録した映像は、とても説得力がありました。非常に深く考えさせられました。
部分的に太陽の光もとりこんで、明るくてとてもいいね。寺沢秀文館長、三沢亜紀事務局からもお話を伺うことができました。行政サポートも受けつつとはいえ、民設民営の博物館、すばらしいです! またお伺い致します。(館内は撮影禁止)
| 名前 |
満蒙開拓平和記念館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0265-43-5580 |
| 営業時間 |
[水木金土日月] 9:30~16:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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昔から戦史を調べる中、満州の開拓団に興味があり、念願かなって行きましたここに行こう!と思わなければなかなか行けない地域なので展示物はネットで調べる内容を超える新しい事実は乏しく、証言系のアーカイブばかりですどちらかと言うと、知識をお持ちでは無い方が学習で訪問して説明を受けたり研修を受ける学習施設でした。