歴史に響く下北迫の地蔵。
下北迫地蔵尊(イボ取り地蔵さま)の特徴
下北迫地蔵尊は、天明大飢饉の供養として建てられた歴史あるお地蔵さんです。
地元住民に愛され、深い信仰の対象となっている大切な場所です。
この寺院は、東北の大凶作と洪水の歴史を物語る場所でもあります。
地元皆さんに愛されている場所です。
天明8年(1788)、天明大飢饉の供養で建てられた。浜街道旧広野宿の北の外れ。
唐突に道の真ん中にお地蔵さん。
| 名前 |
下北迫地蔵尊(イボ取り地蔵さま) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
下北迫の地蔵さまは天明4年(1784 年)から8年にかけて、東北の各地を襲った大凶作と洪水では、この広野の地においても、 多くの人々が飢饉や疫病により亡くなりました。下北迫に祀られているお地蔵さま(延 命地蔵尊)は、天明の飢饉の七きに亡くなられた多くの人々の供養のためにと、林蔵寺 十七世教蓮社良宣上人のお勧めで、夕筋・所木・浅見川・上北迫・下北追など、楢葉郡 内十力村の人達によって天明8年に造立されたものです。この地蔵さまは、もともと旧広 野に祀られておりましたが、一時、林蔵寺にお還しされたことがありましたが、林蔵寺 に選られて暫くして、旧広野の町は大火に遭いました。町の人々は「これは、地蔵さま をお遷ししたからだ」と言って、再び元の所へお帰り頂くようお願いしました。林蔵寺 にお遷ししたときにはなかなか動かなかった地蔵さまをお載せした台車も、お帰りにな られるときには楽に動きましたし、お地蔵さまも「にこにこ」と喜んだお顔をされてお られたといわれています。島田帯刀代官が お米を農民に分け与え飢饉を救いました。島田帯刀代官はせめおい、処刑されたが、功績を称え いわきから楢葉町まで至る所で石碑が建立されています。