標高461mの絶景散策。
大倉城跡の特徴
散策しやすい公園で整備が行き届いています。
善光寺平を見渡せる要衝の地で歴史を感じることができる。
地元の人々によって管理されている大倉城跡は親しみやすい場所です。
東南側と北西側に登城道が整備されて縄張図付きの説明板が建ってる連続堀切に規模の大きな堀切がある長く延びてる竪堀もある尾根を段曲輪状に区切ってあり眺望が良い。
とても綺麗に維持されていました。空堀はっきりわかりますね。眺望もよかった。
比高90mぐらい山で、公園として整備されていますので散策しやすかったです🥷
大倉城跡形態:山城(461m/90m)別名:大蔵城文化財指定:不明遺構:土塁,郭,堀,井戸城主:島津氏歴史:築城年代は定かではない。鎌倉時代に小笠原信濃守長清が築城し、九男長隆が大倉氏を称して居住したとも伝えられる。永正年間(1504年〜1521年)には上杉氏に従っていた島津氏の城であったが、永禄年間(1558年〜1570年)に武田氏に追われ島津氏は上杉氏を頼って越後に落ちた。天正10年(1582年)織田信長が武田氏を滅ぼすと、川中島には森長可が入部したが、それに対抗して芋川氏を大将とする一揆軍が大倉城に立て籠り、織田軍と戦ったが敗れ、殲滅された。説明:大倉城は鳥居川と嘉児加川との間にある比高90m程の山に築かれており、現在は城跡公園として整備されている。大倉城は川の間を細長く東西に伸びた尾根に築かれている。主郭は東西に長く北西下に一段井戸のある曲輪を持つ。西背後は圧巻の五重堀切で曲輪に一番近い部分と一番遠い部分が大堀切となっている。主郭の東は堀切を経て小さく三段程に分かれた二郭があり、さらに堀切で区画された曲輪が東端にある。案内:登山口は東麓と西側尾根上にあり、主郭を経て周遊することができる。東の麓にある案内板の辺りに駐車して周遊した。
登りがキツイ。草刈りがキレイにされていた。年中の子供でも登れた。景色がとても良い。
善光寺平の北方、千曲川と鳥居川が合流し、北国東街道・飯山街道・中野街道が交差する要衝の地に築かれました。弘治3年(1557)、武田軍によって葛山城が落城した際、長沼城の島津月下斎は、北方5kmにある詰め城の大倉城に退却しました。川中島の戦い以降は、善光寺平を武田軍が掌握し、島津氏は長沼城と大倉城を放棄して上杉謙信を頼り越後へと逃れました。
標高461m、国道から比高92m。10月でも草多いケド遺構はよく残ってた。曲輪周辺は草刈りされててキレイ♪ガクンガクンの連続堀切は見応えある♪草に覆われた竪堀u0026竪土塁が長く下まで続いてて畝状竪堀っぽいトコがある♪西側は土石採りで約100mなくなってるらしいが、そもそも東西に長い山城なので言われなきゃわからない。デッカイ蜂に出逢ってビクビクしながらの山城散策あるあるだった..(((((゜゜;)
この場所は大倉区のみんなが草刈りをして管理している所です‼
| 名前 |
大倉城跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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