白虎隊の志、歴史感じる飯盛山。
白虎隊十九士の御廟所の特徴
会津藩の若き武士たちの自決の地で、歴史の重みを実感できます。
近くに無料の駐車場があり、アクセスも便利な観光スポットです。
厳かな空気が漂う神聖な場所で、訪れる人々の心を打つ感動体験が待っています。
急勾配の石階段を自力で上るか、有料(250円)だけど楽な飯盛山動く歩道「スロープコンベア」を利用するか。で、時間の余裕もないので楽なほう選択。江ノ島エスカーみたいなやつ、結構傾斜がありましたよ。大きくてスマートなスタイルの杉の木がたくさん。「会津藩殉難烈婦の碑」「戦死白虎隊三十一士の墓」「白虎隊十九士の墓」白虎隊精神に感銘を受けたローマ市より贈られた記念碑「ローマ記念碑」があります。碑の表面にはイタリア語で、「文明の母たるローマは白虎隊勇士の遺烈不朽の敬意を・・・」と刻まれています。
正面の墓は慶応4年(1868年)8月23日(新暦10月8日)、ここ飯盛山で自刃した士中白虎二番隊19名の墓です。隊士の遺骸は、西軍により手を付けることを禁じられていましたが、村人に より密かにこの近くの妙国寺に運ばれ仮埋葬され、後にこの地に改葬されました。現在の形に整備 されたのは、明治23年(1890年)で、二度にわたり墓域が拡張されています。右側の墓は領内各地で戦死した31名(士中3名、寄合22名、足軽6名)の墓で、同33年 (1900年)に建てられました。左側の碑は白虎隊所属の有無に関係なく領内をはじめ京都、新潟、栃木などで大人と一緒に い戦死した14~17歳の少年武士62名の慰霊碑です。「白虎隊の仲間達」として平成13年 (2001年)に建てられました。
飯盛山を長い階段を登るか電動のスロープを使用するかで上まで行くと会津若松市内が一望できます。お墓も山の上にあります。実際に市内、そして鶴ヶ城を見てみると鶴ヶ城はほんとうに点くらいでした見えませんでした。こちらで若い白虎隊が自刃せたというのはほんとうにかわいそうなお話。思いを馳せながら手を合わせ市内を眺望しました。
近くに無料の駐車場があります。スロープコンベアを使用するのであれば250円。健康と節約を意識するのであれば階段を使って登る事も出来ます。けっこうしんどいと思いますが。土産物屋が充実しておりトイレもきちんとあります。清潔なトイレでした。敷地内には白虎隊墓所以外にも白虎隊記念館やさざえ堂があるので併せて訪問しておく事をお勧めします。特にさざえ堂は素晴らしい。白虎隊記念館やさざえ堂の中に入る場合は有料。外から見るだけなら無料です。平日は空いてました。会津若松観光では外せない場所だと思います。
2022 6/13裏手にも墓石があります歴史の授業でみんな知ってる場所です昔と今では決意は違うかもしれないけど何かを学んでほしい場所です。
スロープコンベアを登り,階段をさらに登り,広場に出て右手付近にあります。色々と考えさせられるものがあります。
R.I.P君達が生きた証を見たよ。決して無駄死にでは無い。美しい。憧れる。
訪れて実際に感じれる空気感を味わってみてください!私は真冬の雪が積もる中行きましたが整備されているのでしっかり拝むことできます。ただ、木からの落雪に注意です。
ほんのちょっと最近の津波の痕跡にはシャッターを切れるくせに、100年以上前の白虎隊の墓標にはカメラを向けられないんだよなぁ。
| 名前 |
白虎隊十九士の御廟所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0242-39-1251 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢155 |
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戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。春と秋の年2回行われる墓前祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます。