金色堂を守る旧覆堂、歴史の重み。
金色堂旧覆堂の特徴
金色堂を守った重要文化財の旧覆堂、歴史が感じられる空間です。
室町時代中頃に完成された覆堂が、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
鎌倉幕府が建てたこの建物は、藤原の偉業を語る貴重な証です。
金色堂の次に見たかったのが旧覆堂。金色堂を拝観されたなら、是非こちらも観て下さい。サイズ感とか何となく分かりますよ。あと、地味ではありますが重要文化財です。
中尊寺の金色堂旧覆堂です。今でも国の重要文化財です。旧覆堂は、金色堂を覆い保護する建物で、増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったと伝わります。写真の覆堂は1963(昭和38)年まで金色堂を覆っていましたが、現在の新覆堂建設に伴い金色堂は新覆堂へと移築されました。松尾芭蕉が「五月雨の降残してや光堂」と詠んだのは、まさにこの地である証でもあります。そのため旧覆堂そばには、松尾芭蕉蔵もあります。金色堂に関しては、イタリア商人であったマルコ・ポーロが記した「東方見聞録」の一節によると、「黄金の国ジパング」とは、当時平泉の地周辺に存在した今の陸前高田市にある玉山金山を指し、「宮殿や民家は黄金でできている」と言う一節は、まさに金色堂そのもの指した記述とも言われていますので、そのような事も踏まえて歴史に浸るのも良いかと思います。
✨金色堂を🌀⚡☔☃️☀️劣化から守るためのカバー‼️鎌倉時代の🔨建造だとか😲 鉄筋コンクリートの頑丈な石棺タイプの新覆堂の完成に伴い1963(昭和38)年 移築 コロ引きだか解体再建築だか未確認…
金色堂を出て順路を進むと、見えてくる古いお堂。現在の覆堂の前に金色堂を守っていたお堂です。今の覆堂より小さい感じなので、昔は覆堂内にも入れず、外から拝観だったのかな?と感じましたね。金箔は腐食しませんが剥落をして、他の金属類の腐食等で昭和の修理前は金色堂内も輝いていなかったのではと推測しました。
ずっと昔から、金色堂はこのような覆堂の中で守られてたんですね。
犬旅/紅葉🍁求めむ北日本紀行2020/10/30金色堂が現在のところに移設されたために、遺された(旧)覆堂は威風堂々、単独でその古い出立ちで存在する。そばには芭蕉翁の像と歌碑が建てられて、否が応でも芭蕉が訪れた江戸の時にタイムスリップさえ可能にしてくれる。芭蕉の有名な俳句の殆どが、東北で詠まれ愛され続けてきた。源氏の血筋と松島の月を愛した芭蕉はこの地からさらに日本海に出て、九郎義経の足跡を逆ながら辿るのである。
神秘的空間です。
以前、金色堂が置かれていた場所。趣のある雰囲気。
2018年8月訪問。鎌倉時代から金堂を保護するための覆堂が建てられ、修理され、建て替えられてきたおかげで金堂の芸術品が残ったんですね。
| 名前 |
金色堂旧覆堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0191-46-2211 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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鎌倉時代に金色堂を覆って風雨から守っていた覆い堂を近代に建て替えた際に移築したもの。木造建築ならではの味わいがありました。立派な柱が真ん中にあり、よくぞ残してくれたとおもいました。