370年前からの聖観世音菩薩と大梅山の静寂。
大梅山 慈恩寺の特徴
遠江四十九薬師霊場の参拝で訪れることができます。
大きく高いまきの木が印象的な境内です。
370年前からのごせんぞ様が眠っている歴史ある寺院です。
遠江四十九薬師霊場の参拝でお伺いしました。臨済宗妙心寺派のお寺で大梅山慈恩寺といい、薬師霊場第四十九番札所になります。慈恩寺の御本尊は聖観世音菩薩です。開創年などは不詳ですが、室町時代の応永年間(1394年~1428年)の開創建と伝えられていて開山は玖山和尚です。その後一時期途絶えていましたが戦国時代の天文年間(1532年~1555年)に中興され、さらに江戸時代の寛永十一年(1634年)に再中興され諸堂が整備されました、当時の塔頭に多聞寺や瑠璃光寺がありましたが今は廃寺となりその御本尊を合祀しています。慈恩寺の本堂に祀られている薬師如来像は瑠璃光寺の御本尊でした、応永二十九年(1422年)に建立されましたが天保十一年(1840年)の火災によりお寺は焼失したが翌年再建されました、明治二年(1869年)の大火(梅屋火事)によって再びお寺を焼失してこの時に慈恩寺に合併され遠江四十九薬師霊場の札所と共に薬師如来像が移されました。本堂にある雲板は寺宝になり寺院で修行僧などに食事の時刻を知らせるために打ち鳴らす楽器で鋳銅製の板で雲形に造られています掛川市の滝谷山法泉寺にあったもので慈恩寺に伝わった経緯ついては不明です。
慈恩寺(じおんじ)所在地 磐田市見付幸町2431-1宗 派 臨済宗妙心寺派山 号 大梅山寺 号 慈恩寺御本尊 聖観世音菩薩遠州四十九薬師霊場 第四十九番札所室町時代の応永年間(1394〜1428年)の開創と伝わる。その後、一時途絶えていましたが、戦国時代の天文年間(1531〜1555年)に中興され、さらに江戸時代の寛永11年(1634年)に再中興され諸堂が整備されました。また、江戸時代末から明治時代初め頃には、当寺で寺子屋教育が行われていました。慈恩寺の寺宝「磐田市指定有形文化財」★雲板(うんばん)室町時代作。平成17年11月21日指定寺院で修行僧等に食事の時刻を知らせるために打ち鳴らす鋳銅製の板で、雲形に造られています。銘文に、遠江国上西郷庄瀧泉禅寺長板干時応永拾六年南呂念七日誌之住持 比丘明通 と刻まれています。「瀧泉禅寺」は滝谷山法泉寺(掛川市上西郷)をさすものとみられますが、当寺への相伝については不明です。年代は応永26年(1419年)と記されています。★徳川家代々の御朱印★大黒天宮本武蔵作と伝わる一刀彫りの大黒天像。山門脇のクロガネモチの大木は、見付の銘木に指定されています。お寺の名前にうきうきしてしまいました。ガンダム世代の者の性か!
臨済宗妙心寺派です。墓石を建てない樹木葬、ペットのための共同のお墓もあります。狭い道を入りますが、広い駐車場があります。寺院裏手の斜面からの眺望は最高です。風のとおりが良い場所に面しております。
山門を通りしばらく進んだ左手にまきの木が三本あるのですが、ここまで大きく高い木ははじめて見ました。(看板がありますのでわかりやすいかと思います)境内そんなに広くはないですが、もみじが雰囲気を落ち着かせてくれます。本堂の前に藤が咲いていました。五分咲きで香りが良く見頃です。(2019.4/21現在)一般的に藤棚が多いですが、木が低いので子供や小柄の人は見やすいかと思いますよ。
370年前からのごせんぞ様が眠っています。
| 名前 |
大梅山 慈恩寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0538-32-3098 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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大梅山 慈恩寺宗派臨済宗本尊 聖観世音菩薩室町時代の応永年間(一三九四〜一四二八)の開創と伝えられています。その後、一時途絶えてしまいましたが、戦国時代の天文年間(一五三ニ〜一五五五)に中興され、さらに、江戸時代の寛永十一年(一六三四)に再び諸堂が整備されました。また、江戸時代末から明治時代初め頃には、当寺で寺子屋教育が行われていました。磐田市指定有形文化財•雲板室町時代平成十七年十一月二十一日指定寺院で修行僧などに食事の時刻を知らせるために打ち鳴らす第製の板で、雲形に造られています。銘板に遠江国上西郷庄瀧泉禅寺長板手時応永廿六己年南呂念七日誌之住持比丘明通と刻まれています。「瀧泉禅寺」は滝谷山法泉寺(掛川市上西郷)をさすものとみられますが、当寺への相伝については不明です。年代は応永二十六年(一四一九)と記されています。建て看板より。