見晴らし抜群!
小川台場跡の特徴
晴れた日に訪れると見晴らしが素晴らしいです。
遊歩道があり、散歩に最適な場所です。
盛り土の跡や柱が残り歴史を感じられます。
中部北東ではなく中部北陸なんだが…
晴れた日に行きました。日本海の景色を風に吹かれながら自然に囲まれて気分も晴れていきました。
特に何かがあるわけでもなく 小さな公園になってます ここよりも 県道からここへつながる道の海側の絶壁が日本海らしく荒々しく見ごたえが有ります 落ちるとたすからないと思うので余り端まで行かないで。
ファミリーオに泊まられた際には是非。絶景です。
見晴らしが良く、遊歩道もあります。
とても綺麗でした散歩道もありました。
盛り土の跡と柱の様なものが残っている程度ですが、見晴らしも良くドライブの休憩ポイントとして、いいかも。台場跡という事で、ここで明治初期にロシア船を監視して大砲が置かれていた様です。それを想像しながら眺める水平線はロマンを感じます。
| 名前 |
小川台場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.sado.niigata.jp/z_ot/cultural_property/property_c/1500/1502-13.shtml |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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佐渡市に残る小川台場跡(おがわだいばあと)は、江戸時代末期に造られた海岸防衛施設(砲台跡)だ。いわゆる「お台場」というと東京を連想するかもしれないが、実は全国各地にこうした海防施設が築かれていた。ここ佐渡にも、幕末の緊迫した情勢を伝える遺構が良好な形で残されている。小川台場が築かれたきっかけは、19世紀に入ってから日本近海に外国船(異国船)が次々と姿を現すようになったことだ。江戸幕府は、海外からの脅威に対し全国各地の海岸線に砲台を築き、海防体制を強化していた。佐渡でも文化5年(1808年)には小川地区の殿見崎(とのみざき)という断崖の上に最初の砲台が設置された。しかし当時の大砲は小型で威力も弱く、強力な外国船に立ち向かうには心もとない状況だった。1840年代に入ると世界情勢はさらに緊迫する。清国がイギリスに敗れた阿片戦争(1840〜42年)は日本にも衝撃を与え、異国船来航への警戒が一層高まった。これを受け佐渡奉行所は、弘化4年(1847年)頃、越後国の柏崎から鋳物職人を呼び寄せ、大型の新式大砲(大筒)の鋳造を開始する。この時、鋳物師の棟梁として招聘されたのが名工・本間琢斎(ほんまたくさい)だ。琢斎は佐渡の沢根鶴子地区で蝋型(ろうがた)という特殊な鋳造技術を駆使して精密な大筒を鋳造した。現在この蝋型鋳金技術は、佐渡を代表する伝統工芸として新潟県の無形文化財にも指定されている。小川台場に置かれた大筒は、1貫目玉(約3.75kg)の砲弾を発射できる強力なもので、外国船に対抗するための切り札だった。最初に台場が築かれた殿見崎は崖が険しく、大型の大砲を設置するには難しかったため、小川の「原(はら)」と呼ばれる平坦な土地が新たな砲台の建設地として選ばれた。こうして嘉永3年(1850年)頃までに完成したのが現在の小川台場だ。台場の形状は半円形で、西方の日本海に向けて造られ、陸側からは土塁の内側に入れるように三か所の出入口が設けられた。台場の内側には砲座が三つあり、中央に一番威力の強い大型砲を据え、左右の砲座には従来からあった中小型の大砲を置くという配置がとられた。この台場跡の特徴は防備施設としての完成度が高く、現在もかなり良好な形で残っていることだ。台場の土塁は全長約45メートルに及び、その内部には高さ60cm、幅約1.2mほどの張り出しが巡らされている。この張り出しは砲弾や火薬を置くための棚、または兵士が迅速に移動するための足場として使われていたとされる。実際に異国船との交戦は起こらなかったが、当時の人々が外国船に対していかに警戒していたかが感じられる構造だ。佐渡島には当時、実に50~60ヵ所もの砲台があったと言われる。しかし現代まで良好な形で残るのは数えるほどしかない。その中でも、この小川台場跡は特に保存状態が良く、2002年(平成14年)には新潟県の史跡に指定されている。島内のほかの台場跡が風化したり土地開発で姿を消したりする中、小川台場が残ったことは歴史的にも非常に価値が高いといえる。台場のすぐ南には最初の台場が置かれた殿見崎があり、当時の監視拠点の役割を果たしていた。また北方の鷲崎(わしざき)地区の弾崎(はじきざき)や、佐渡中央部の相川地区にある春日崎(かすがざき)などにも台場や見張り所が置かれ、佐渡全域が海防体制を敷いていたことがうかがえる。こうした島内の他の史跡を巡ることで、幕末期の緊張感や防衛の工夫がよりリアルに感じられるだろう。さらに、佐渡市相川地区にある佐渡奉行所跡の資料館や佐渡博物館では、幕末の佐渡に関する展示があり、小川台場で使われたような砲弾の模型や当時の記録を見ることも可能だ。小川台場だけでなく、島内の歴史資料館を併せて訪れることで、より理解が深まるはずだ。現在、この小川台場跡一帯は「台場都市農村公園」として整備され、訪問者が見学しやすい環境が整えられている。土塁に登れば眼前には広々とした日本海が広がり、幕末にここを守った人々が何を見つめていたのかをリアルに想像できる場所だ。幕末の日本海防衛の最前線として、そして佐渡独自の鋳金技術が花開いた歴史の舞台として、小川台場跡は一見の価値がある史跡だと思う。