藩政時代の名残、松山大手門。
山形県指定有形文化財「松山城大手門」の特徴
山形県で唯一の現存する城郭建築、松山城大手門です。
酒井忠休が築城した歴史ある平城で観光に最適です。
藩政時代の名残を感じられる貴重な文化財となっています。
城趾が、綺麗に整備されてて、天気も良くいい散歩たなりました。
藩政時代の城門としては、県下唯一。庄内藩の支藩松山藩の城遺構です。大手門と言っていますが、実は三の丸の櫓門(通称、多聞櫓)です。駐車場は、となりにある松山文化伝承館と共通です。松山文化伝承館の歴史資料展示も合わせてご覧ください。
城跡があるのは知っていたが始めて敷地内を歩いた。また木々が色づき始めたらまた来ます!
山形県で唯一現存する城郭建築だという。ここに公共交通機関で来るのは中々大変でした。時間を選ばなければ、酒田駅からバスでOKだが、休日の午前中は余目からバスに乗り、橋を越えてさらに徒歩25分程度という道のり。夏は大変です。
一時期は高校の施設になったそうですが、移築もされずに昔のまま鎮座する松山大手門。
ドア(原文)門。
酒井忠休が築城した平城。庄内藩の支藩である松山藩の藩庁が置かれた。
山形県唯一の現存するお城の建物。松山城の大手門。
そもそもこちらにお城があったのは知らなかった💦💦初代藩主酒井忠恒に、庄内藩2代藩主酒井忠当より領内の飽海郡中山村が分与されて中山陣屋が構えら、後に中山を松山と改め、松山陣屋といった。松山城は天明元年(1781年)に松山藩第3代藩主酒井忠休によって築城が始められ、それまでの中山館より移り、7年の歳月をかけて一応の完成をみた。宝暦10年(1760年)忠休は西の丸若年寄となり、5千石加増され格式も城主になった。戊辰戦争では、宗家の鶴岡藩と行動を共にして奥羽越列藩同盟に加わり、官軍と戦うこととなった。廃藩後大手門を除き、建物は取り壊された。
| 名前 |
山形県指定有形文化財「松山城大手門」 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0234-62-2632 |
| 営業時間 |
[木金土日火水] 9:00~16:30 |
| HP |
https://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1183 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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