越中万葉の歌碑を訪ねて。
長谷部神社の特徴
平安末期の長谷部氏ゆかりの神社で歴史を感じられます。
優しい奥さまの対応で、心穏やかにお詣りができました。
お稲荷さんが祀られ、独特の雰囲気が漂っています。
2025.5.14隣の資料館は休業中でした。
令和6年11月13日参拝越中万葉の歌碑があると知り訪問。穴水湾から参道に入り正面に鳥居と対すると右側に歌碑が見える。従珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱灣仰見月光作歌一首題詞珠洲(すす)の郡(こほり)より舟を発(いだ)し、太沼の郡に還(かへ)る時に、長浜(ながはま)の湾(うら)に泊り、月の光を仰ぎ見て作る歌一首原文珠洲能宇美尓 珠洲の海に安佐妣良伎之弖 朝開(あさびら)きして許藝久礼婆 漕ぎ来れば奈我波麻能宇良尓 長浜の浦に都奇氐理尓家里 月照りにけり巻17 四〇二九 大伴家持「右件《みぎのくだり》の歌詞は、春の出挙《すいこ》に依りて諸郡を巡行す。」とある通り、越中国守として能登諸郡の農民に稲の種もみを貸付ける仕事を終え、能登半島先端の珠洲から越中国府へと舟で帰る時に詠んだ歌。「長浜の浦」については諸説あって、多くは氷見市から高岡市へと続く「麻都太要(まつだえ)の長浜」とする説だが、ここでは「古代の穴水地域は、能登國能登郡(後の鹿島郡)の長浜郷に属し、郷内の海は長浜湾(ながはまのうら)と呼ばれた」「ここにみえる長浜湾は、現在の穴水の入江である」としている。碑字の森田柿圓(しえん)は加賀藩の郷土史家、碑文の東四柳史明氏は長谷部神社宮司であり、金沢学院大学名誉教授。
平安末期に勇名を馳せた長谷部氏を祖とする長氏ゆかりの神社の様です。戦国時代 長氏は能登畠山氏と上杉謙信との抗争の末 没落の道を辿りましたが、一族で ただ1人 生き残った長連龍は織田信長 前田利家に仕え、没落した長氏を再興に導いた様です。金沢市に今も残る 長町武家屋敷は、この長氏の屋敷があったとされている様です。
長谷部の姓の始祖情報は得られなかったが良いお詣りができました。
平日にも関わらず奥さまが優しく対応してくださいました。裏山に、城跡があるそうです。お時間のある方は散策なさってみるといいですよ。
写真の通りお稲荷さんです。恐らく穴水城と繋がっていると思いますが、そこへ行く階段は草が生い茂り行く勇気はちょっと出ませんでしたね。穴水城側も草だらけだったので…小さな祠のようなものに子宝の石というのがありました。中に入っているのか何なのかよくわかりませんでしたが…資料館が併設されていましたがショボそうなのに入館料が必要なため入りませんでした。神社自体はそれなりに整備はされていますが特に何かあるわけでもない普通の神社です。
| 名前 |
長谷部神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0768-52-3010 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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