三戸南部氏の居城跡、学芸員と共に。
史跡 聖寿寺館跡(本三戸城)の特徴
三戸南部氏の居城跡で歴史を感じます。
学芸員による詳しい説明が魅力です。
開放的な場所で見学が楽しめました。
三戸南部氏の居城跡。現在は発掘作業中でもあり、案内板以外の観光用設備、舗装等は設けられていません。
もともと三戸南部氏が居城していた場所。現在は発掘作業で色いろと遺構が見つかっている。国指定史跡に指定されており、倉庫や工房のあとという説明看板がありました。陶磁器や金属製品などが出土したそうです。御城印は近くの史跡聖寿寺館跡案内所で買えます。
広々として気持ちの良い場所でした。トイレがあるといいです。
2021年6月13日に見学しました。南部氏は、鎌倉時代末には、この地に入部していたと考えられます。天文8年1539年に焼失したと伝えられています。その後、三戸城へ本拠地が移って行きました。この居館は、南部氏発祥の地ということになります。
発掘調査終わればまた来ます。
埋め戻してるので基本ただの開けた場所でした。堀が少しと高低差は確認できるのですがね。
北東北最大の戦国大名 三戸南部氏の居館。東京ドーム2.5個分の広大な曲輪からは霊峰名久井岳がきれいに見えます。
ガイドがあってOK
学芸員の方に詳しく説明を受けながら、見学させて頂きました。
| 名前 |
史跡 聖寿寺館跡(本三戸城) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0179-34-2132 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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南部氏史跡。2020年10月19日来訪。三戸南部氏の城館跡。南部氏は前九年の役、後三年の役で活躍した、源義家の弟の義光に端を発する一族であり、始祖は、源頼朝に与して戦功を挙げ、甲斐国巨摩郡南部郷を与えられた南部光行である。南部氏が奥州に入った経緯、時期は定かではないが、鎌倉時代末期に入部したとされる。奥州に入部した南部氏の氏族は、八戸氏や一戸氏等、それぞれの領地の地名を名字としたが、三戸南部氏は宗家として、そのまま南部氏を名乗り、室町時代には聖寿寺館を中心として糠部を治めていた。戦国時代に入ると、南部信時から晴政までの代において、南部氏は勢力を拡張するが、1539年、南部晴政の代に家臣の赤沼備中による放火で聖寿寺館は焼失し、その後南部氏は三戸城を本拠とした。当史跡は、館のあった聖寿寺地区、南部氏の菩提寺がある三光寺地区、氏神である本三戸八幡宮地区で構成されている。聖寿寺館跡は、周囲よりやや高い丘陵地にあり、西側は断崖、東側と北側は大堀で守られている。史跡自体は北西の館神と呼ばれる祠を最高地点として、南東に向けて緩やかに傾斜がついた草地となっていて、私が訪ねた時は、まだ発掘作業が続いていた。また一部の建物跡に平面復元が施されている。南部氏の史跡としては、根城や九戸城と並ぶ重要な史跡であり、戦国史好きとしては非常に興味が注がれる史跡である。東側に史跡聖寿寺館跡案内所があり、同史跡に関する展示を見ることができる。第27代南部氏当主利直の四男南部利康霊屋拝観の受付(有料)もここでしている。