真珠湊碑文で歴史に触れる。
真珠湊碑文の特徴
真珠湊碑文に倭寇の襲来との記述があり、新たな知識を得られます。
国王頌徳碑の復刻が施され、歴史の深さを感じさせるスポットです。
2020年に整備された真玉道があり、訪問時のアクセスが便利です。
真珠湊碑文(まだまみなとひのもん)と国王頌徳碑の復刻碑(平成19)。元碑はともに残片が残るのみ(県博)。もとは守礼門東から南方向の真玉橋を通過して那覇港に至る真玉道の起点にあたる石門(いしじょう)の東西にあった。ともに嘉靖元(尚真王46、1822)年建。・眞珠湊碑文 首里の王おきやかもいかなし天の御ミ事に、ま玉ミなとのミちつくりはしわたし申候時のひのもん(本文略)・國王頌徳碑 しゅりおきやかもいかなしの御代にミやこよりち金丸ミこしミ玉のわたり申候時にたて申候ひのもん 爰有寶劒神仙託曰號治金丸稱眞珠也、 欽奉尊命雕石刻銘功名立碑(本文略)大明嘉靖元年壬午十二月吉日 住山圓覺仙岩叟謹記之。
2020年の真玉道の整備が終わり真珠湊碑文(復元)は起点となる本来の場所に移動しました。
| 名前 |
真珠湊碑文 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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真珠湊碑文(まだまみなとひもん)〒903-0816 沖縄県那覇市首里金城町1丁目訪問日は2025年2月2日「倭寇(わこう)の襲来」と書かれているのをみて、確かに、沖縄(琉球)もその被害を受けたのかと、新たな発見をした気分になりました。ちなみに、倭寇は、鎌倉末期~戦国時代、朝鮮半島・中国大陸沿岸を襲った海賊に対する朝鮮・中国側の呼称とされています。眞珠湊碑文(まだまみなとひもん)(復元)尚真(しょうしん)王時代に、倭寇(わこう)の那覇港来襲に備え国道・軍用道路である真玉道(まだまみち)の整備し、それを記念して1522年(尚真王46)に建立された。守礼門の上手で綾門大道(あやじょううふみち)から南へ分岐する真玉道の門構えに石積みされて「石門(いしじょう)」と呼ばれていた。石門の西側にあるため俗に「石門の西(いり)のひのもん」ともいう。現在の碑文は、首里城復元期成会が沖縄電力株式会社とオリオンビール株式会社の協力を得て2006年(平成18)に復元したものであり、真玉道を整備した2018年(平成30)に本来の位置に設置したものである。