木崎原古戦場跡で歴史を感じる。
首塚・太刀洗川(木崎原古戦場跡)の特徴
木崎原の戦いでの伊東軍の惨敗が語られる史跡です。
500名以上討ち取られた戦いの跡に立つ場所です。
伊東家の衰退を感じさせる歴史的なスポットとなっています。
木崎原の戦いで500名以上討ち取られた伊東軍。その伊東軍の首を葬ったのがこの首塚です。道路の反対側に大刀洗川があります。今は川は無さそうですが、ここで血に染まった太刀を洗ったとの事です。
木崎原の戦いで伊東軍は島津軍に惨敗し、この後、伊東家は衰退して行きます。48城を有していた伊東家に戦略的な軍師が居たなら歴史はどのようになっていたか、思いを馳せるのも良いですね。
| 名前 |
首塚・太刀洗川(木崎原古戦場跡) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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木崎原古戦場跡の駐車場から歩いてきました。近いと思ったのですが、意外と時間が掛かったように感じました。今日旅の5日目、最終日は暑かった。勿論暑いことに満足しています。最初の台風や雨より断然好いです。暑いけど充実した気分で、首塚と太刀洗川跡につきました・・・が、ちょっとガッカリしました。首塚はどこの首塚もこんなイメージで想像通りでしたが、太刀洗川はどこが太刀を洗った川跡なのか、現況からは全く想像できませんでした。工事現場の荒れ地の窪みに訳の分からない四角柱が立っているという感じでした。まさかあの四角柱が石碑?そんな感じでした。付近を見廻したところ、この四角柱以外に何もありません。あの四角柱に近づいて凝視してみると、高齢者の私でも「太」の文字が何とか認識できました。ああこれか?と思いました。因みに、私はこれでは満足できなかったので、更に付近を探索し、自分の頭の中で太刀洗川をイメージしました。因みに、これらの史跡は道路の直ぐ両脇にあります。車の通りもそれなりにあります。路上には停められませんが、車1台位は首塚の隣に頭から突っ込んで停めるスペースがありました。体力に自信のない方は選択肢の一つかと思います。