長崎の玄関口、歴史を歩こう!
古橋(長崎市指定有形文化財)の特徴
旧長崎街道に位置する鳴滝川の橋は唯一無二で特別です。
承応3年に架けられた市指定有形文化財の石橋です。
桜馬場から一の瀬へ通じる長崎の玄関口としての歴史があります。
長崎街道最初の橋です。眼鏡橋の写真は間違いです。中島川に架かる石橋は寺への「参道」ですが、こちらは支流の中川に架かる「街道」の橋です。混ぜるな危険。この橋の醍醐味は横から見た姿です。かつての橋の上に石を積んで嵩上げしています。親柱までそのまま埋めています。案内板によると壊れた記録が無いので、1654年に架橋してから嵩上げで荷重増やされたのに、ずっとここで橋やっています。竜馬や象もこの橋を渡っていますが、嵩上げ時期が判らないので路盤の高さは同じかも違うかもしれません。そんな歴史ロマンが地層剥離標本状態で見れます。
長崎は眼鏡橋や中島川の石橋群など石橋文化もあります。何気なく歩いた古橋も小さな橋ですが側面から見ればいい仕事がされてます。
旧長崎街道です。
子供の頃に毎日通ってました。車が一台通れる程度の幅で、ゴツゴツした石畳の橋。特に橋からの景色が良い訳でもなく…。
鳴滝川に架かるこの橋は、旧長崎街道に位置し、桜馬場から一の瀬(現:蛍茶屋)に通ずる唯一の橋で、長崎の玄関口にあたっていました。承応3年(1654)、唐大通事の林守壂が私費を投じて架けたもので、眼鏡橋から数えて6番目に架けられた石橋です。崩流の記録はありませんが、現在は勾欄や親柱等をそのまま埋め込んで、約1mかさ上げがしてあります。全長7.6m、幅2.8mで、この水系最小の石橋ですが、側壁石の工法に特徴があり、布石部分の加工に入念な仕事ぶりを見ることができます。以前は中川橋と呼ばれていましたが、大正7年(1918)約30m下流に新しく中川橋が架かり、この橋は古橋と呼ばれるようになりました。
市指定有形文化財鳴滝川にかかるこの石橋は、一の瀬(現在の蛍茶屋)から桜馬場に通じる長崎の玄関口にあたり、承応3年(1654)、唐通事・林守壂(りんしゅでん)が私費を投じて架けた。眼鏡橋から数えて6番目に架けられた石橋で、この頃堂門・玉帯・高麗(こうらい)・一の瀬の各橋が毎年続いて架けられていた。創架後崩流の記録はないが、現在は勾欄(こうらん)、親柱(おやばしら)等をそのまま埋めこんで、約1メートルかさ上げがしてある。車の交通に便ずるため、明治の初期の改修と思われる。径間5.1メートルで、この水系最小の石橋であるが、側壁石に入念な仕事ぶりを見ることができる。大正7年(1918)下流に新しく中川橋が架かり、この橋は古橋と改称された。長崎市HPより。
| 名前 |
古橋(長崎市指定有形文化財) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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架橋は承応3(1654)年、唐通事・林守壂が私費を投じて架けた石橋。大正7(1918)年、下流に新しく中川橋が架かり、この橋は古橋と改称された。かさ上げされる前の古橋の壁石は、僅かな隙間さえない精巧な造りだ。親柱に刻まれてたであろう、橋名の文字が見たかったなぁ~古橋から中川町地蔵堂までをトロトロ坂と呼ぶが、何故トロトロなのかは謎…