歴史感じる矢不来天満宮。
矢不来天満宮の特徴
矢不来天満宮は函館戦争にゆかりがあり、歴史が感じられる神社です。
ご祭神は菅原道真公で、5世紀に流れ着いた天神様を祭っています。
未発掘の茂別舘跡が近くにあり、今後の調査に期待が寄せられています。
2025年5月24日に参拝しました。この神社の境内は、室町時代(嘉吉3年1443年)に茂別館の大館が建てられた場所にあたります。十三湊を治めていた安東太郎盛季(もりすえ)は、南部義政に十三湊を攻められ、蝦夷地に逃れて、ここに茂別館を築きました。ここから道南の各地に和人が移住して、道南12館が形成されます。戊辰戦争最後の箱館戦争では、大鳥圭介ら旧幕軍が守る矢不来台場を新政府軍の戦艦が艦砲射撃を加え、激戦となりました。神社の参道を山手に進んで行くと、矢不来台場跡地に続いています。
室町時代からの歴史がある神社で祭神は菅原道真公、昭和の初めに今の場所に移ったとのことです。茂辺地川方面から向かうと表参道を越えたところに裏参道として駐車場の入り口があります。この日はまだ桜の花が咲き乱れてて荘厳な感じでした。境内の社務所で御朱印の受付をしてくれるとの事でした。神社の歴史を見ると街の歴史も分かってくるので興味が出てきたので御朱印も集めてみたくなりました。
昔戦争があって矢が届かなかったとか、そしてこの名前にになったと丁寧に説明してくださいました。ワンちゃんもオムツして一緒に参拝しても良いそうです🐶
優しい宮司さんでした。
茂別舘跡、 未だ、手付かずですが、これからの、発掘調査に期待したいです。
ご祭神:菅原道眞公ご由緒:嘉吉3年(1443年)安藤盛季矢不来に舘を築く。長禄元年アイヌとの戦いに稀瑞を感じ舘主下国安藤式部大輔安部家政が家臣池田半太夫源輝元に命じ神勤させた。爾来,守護神として崇敬す。貞享5年下国儀季造営、元禄14年,下国要季造営。同年,拝殿を吉川六兵衛が造営、宝暦2年下国細見が再建,明和3年下国但見安部季政が再建,天明3年7月下国勘由が再建,元治元年再建,明治8年村社に列す。明治15年下国安芸が茂辺地に遥拝殿再建,明治28年遙拝殿移転,大正6年矢不来より茂辺地に本殿を移転,大正6年神饌幣帛料供進指定。昭和3年上磯町字矢不来138番地に移転,昭和43年社殿を神明造に改築する。合祀舘稲荷神社 倉稲魂神 元和元年(1615年)9月創祀 明治11年合祀。
229. 2017.09.27茂辺地の市街地から茂辺地川を渡って山の中へ入って行きます 。中々の山の中に鎮座されております 。乳白色の鳥居が特徴的でカッコイイ 。お昼時でしたが 気持ち良く対応して下さりまして御朱印を頂けました 。境内末社の 川下社さん の御朱印はありませんでした 。函館の赤川から延びている函館茂辺地国道からもこられます 。近くには寝台特急北斗星広場があり懐かしい「 北斗星 」が静態保存をされておりましたよ 。中を見学することも出来ました 。カフェが併設されていて食事をすることもできるようでした 。
矢不来天満宮(やふらいてんまんぐう)は北海道北斗市矢不来138番地にある神社で旧社格は村社。御祭神は菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)で例祭日は9月25日。 神社の境内は、道南十二館の一つである茂別館(もべつだて)の遺構内に建てられており、周辺には東方に中世の矢不来館、幕末期の激戦地であった矢不来台場、旧矢不来天満宮跡などもあります。 一ノ鳥居には天保十一年庚子五月吉日(1840年は天保の改革の前年ですね)と刻まれています。 鳥居の上には小石が乗っていて、深夜に誰にも見られないように後ろ向きに石を投げて、それが鳥居の上に乗れば願いがかなうと云うとかなんとか。(10年くらい前に近くで仕事があったので訪れたときは、もっとたくさんの石が乗っていましたが、掃除したんでしょうね)
函館戦争にゆかりのある地のひとつ。時期的に遅かったのか社務所にも誰もいない感じがあった。たぶん桜の木だと思うので今度行ってみたい。
| 名前 |
矢不来天満宮 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://hokkaidojinjacho.jp/%E7%9F%A2%E4%B8%8D%E6%9D%A5%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE/ |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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山の中にひっそり佇んでいる神社⛩️鳥居に天保十一年と刻まれていて歴史を感じられる神社です✨