みやま市の歴史、松風の関で体感!
松風の関入口の特徴
福岡と熊本の県境に位置する歴史的な関所です。
旧道・豊前街道の重要な関所の入口が魅力的です。
松風の関は、南関ICからわずか4kmの距離にあります。
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淋しいな~😣何にも無い😱
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旧道 豊前街道の関所の入口です。国道沿いに案内看板があります。
| 名前 |
松風の関入口 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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松風の関(まつかぜのせき)は、南関ICの北4kmほどのみやま市山川町北関にある福岡と熊本の県境にあった関所です。七世妃に作られた古代官通であり、古くから筑後の国と肥後の国を結ぶ唯一の街道が通っており、九州の北と南を結ぶ交通の要所でした。「背戸坂」と呼ばれた、最も嶮しい天然の要害の地でありました。往時は、玉のごと吹く風は松の梢をなで、松籟の音は美しい楽を奏でたため「松風の関」の名が生まれました。中世以前は、肥後領の白間荘・大津山にあったので、「大津山の関」と呼ばれていました。寿永2年(1183年)の源氏と平家の争乱の時代は既に関所として菊池氏によって守られていました。南北朝時代には南朝軍の懐良親王に御供した真弓有公が正平3年(1343年)菊池軍唯一の重要な関所として重任に就き筑後征討に臨みました。天正15年(1587年)戦国時代が終り、九州征伐のために軍を進めた豊臣秀吉がこの道を通り、原町と野町に「太閣道」という名を残しています。江戸時代には幕府の直轄に置かれ、参勤交代の行列もこの肥後街道から江戸に上がりました。明治10年(1877年)西南戦争の際には、明治政府軍の官軍総督の有栖川宮熾仁親王が、福岡の本営から南下して、この関所を通り熊本城の北方の田原坂で薩摩の西郷軍と戦いました。現在では藪に覆われていて、竹林の葉ずれの音のみが聞こえ、その静けさからは往時の哀史など歴史深い雰囲気が伝わってきます。