幕末の名君、鍋島直正公の銅像へ。
鍋島直正公銅像の特徴
佐賀城鯱の門北側に平成29年再建、大迫力の鍋島直正公銅像が鎮座しています。
城入口にあるため見やすく、ゾンビランドサガの聖地としても注目され記念撮影に最適です。
直正は藩校「弘道館」の拡充や蘭学寮を設置するなど、佐賀藩の教育に注力しました。コロナ禍で有名となったエピソードですが、天然痘の根絶のため、種痘を自らの長男で試すなど、最先端の医療にも取り組みました。また、反射炉を築いたり、理化学研究所「精煉方」や海軍伝習機関「三重津海軍所」を設置、国産初の蒸気機関を開発するなど、日本の近代化を推進しました。薩長土肥の「肥」 の存在感を大いに高めました。
圧倒的存在感の銅像。すぐ近くにあるゾンビランドサガのマンホールが珍しい。このあたり午後9時か10時になるとスポットライトが消灯するためマンホールは朝か昼の方が見つけやすい。
幕末屈指の名君。江戸生まれ。財政を立て直し、佐賀藩を雄藩にした人。産業を盛り立て、藩校弘道館を拡充。医学寮設立。軍力も高め、日本の近代化に大きく貢献した人。ここに来るまで知らなかったけどすごい人だとわかりました。鍋島藩といえば波佐見焼とかあのへんにも携わったのかな。
鍋島直正公銅像佐賀城、鯱の門を出てすぐに見える銅像大正2年に佐賀城北御堀端に建築昭和19年に第二次世界大戦時の金属回収令により供出平成26年より銅像再建の寄付募集開始平成29年3月に現在の物が完成【どんな人】第10代佐賀藩藩主佐賀七賢人の一人(江戸時代末期から明治維新にかけて活躍、功績を残した人、他に大隈重信など)藩の財政改革をした人西洋技術の導入に積極的鉄製大砲製造の為の反射炉を築き洋式鉄製大砲の藩での製造することに成功藩校「弘道館」の拡充や洋学を学ぶ蘭学寮を設置天然痘のワクチンを国外から取り寄せる事を命じた明治4年に死去。
幕末の名君、鍋島直正の銅像。佐賀城の古地図を確認すると、実はここは水堀の上にある面白さ?
これまで数多く歴史人物の銅像を見てきたが、今日見上げた鍋島直正公の銅像は、綺麗で威厳があり、かなりの迫力があって見応えがあった。家に帰ってからこの銅像が割と最近に作られたことを知り、宜なるかなと改めて感じた次第。思うにこの直正公像は秀作です。
無料の駐車場とトイレの側に建っている銅像。NTTの塔と烏帽子姿の対比が、過去と現在の対比みたいで、面白い。近くに、ゾンビランドサガ のマンホールも設置してあった。
鍋島直正公佐賀藩9代藩主・鍋島斉直の嫡子として江戸の佐賀藩邸に生まれる。17歳で家督を継ぎ10代藩主になると様々な改革を断行し、佐賀藩を幕末の雄藩にのし上げた。家督相続当初、藩の財政は逼迫していたため、直正はまず粗衣粗食令を出し、自らも率先。藩の役人の大幅なリストラ、借金の整理、磁器・茶・石炭などの産業育成を通して財政改革を行った。鍋島直正公は、そんな佐賀藩の10代目のお殿様で、今も歴史に名前を残す偉人「佐賀の七賢人(しちけんじん)」の一人として知られている。この銅像が生誕200年を記念して、佐賀城旧二の丸跡に73年ぶりに再建されました。建てられた銅像は、台座も入れると約8.5メートル。全国から集まったたくさんの人の寄付金とたくさんの人々の力によって建てられました。
ひな祭り飾りの陳列してありました。地元小学生が製作した物!
| 名前 |
鍋島直正公銅像 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
直正公の立派な銅像です。佐賀城の入り口に鎮座しております。