加藤清正公が結ぶ歴史の道。
野津原神社の特徴
加藤清正公が開いた道の歴史を感じられます。
鳥居には加藤神社の刻印があり、目を引きます。
鳥居前には車を2台停められるスペースがあります。
加藤清正公が熊本と大分を結ぶこの地域の街道を開いたそうで、鳥居には加藤神社と刻まれています。地域の方に昔から今も大事にされているのが伝わってくるような神社で、参拝させていただきました。
鳥居前に車2台くらいは停められそう。
郷社。雰囲気の良い神社です。
| 名前 |
野津原神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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野津原神社の成り立ちは、明治維新後の神仏分離政策と合祀の流れを色濃く反映していますね。明治4年(1871年)に、素盞嗚命を祀る祇園神社と、法護寺に祀られていた加藤清正公の霊を合祀して「野津原神社」としたとのこと。この時期は、廃仏毀釈の影響で、仏教色の強い神社や祀られていた人物の扱いが変わることが多かったですが、ここでは清正公が神として祀られる形になったのが興味深いですね。これは、清正が熊本藩領で厚く信仰されていた証拠でもあります。さらに、**明治12年(1879年)には、地区内の5社を合祀し、より広範な地域の信仰を集める神社へと変化したことが分かります。これは、明治政府による神社整理政策(合祀令)**の影響でしょう。また、江戸時代には熊本藩の御茶屋(本陣)が置かれていたとのこと。御茶屋は、藩主や家臣が宿泊・休憩するための施設であり、交通の要所に設置されることが多いです。野津原もそのような重要な宿場町だったのでしょう。野津原神社は、単なる神社ではなく、地域の歴史や人々の生活と深く結びついた存在ですね。