内村田神社、静かな山の麓で。
内村田神社の特徴
弥永日隅宮にあった祠を遷した歴史がある神社です。
朝倉地区に位置する田神社の一つで地域の信仰を集めています。
天神社と合祀されている独特の神社として注目されています。
三輪町史によると、「弥永日隅宮にあった祠をこの地に遷し天神社と合祀する」とありました。田神社は以前はウツノミヤ(現在、梨ノ木城老人ホームがある辺り)に鎮座していたようです。日隅宮(うづのみや・うつのみや)とは日隅宮=日沈宮(ひしずみのみや)=日御碕(ひのみさき)古来、出雲は大和から見て北西にあり「日が沈む地」とされてきました。日が沈む聖地ということです。弥永のウツノミヤも北西にあたります。
朝倉地区に多くある田神社の一つです。御祭神は大幡主と月読尊と思いますが、他の田神社と違うのは日隅宮があることです。大国主の国譲りの条件である日隅宮の場所は、すぐ近くにある大己貴神社の辺りだったのかもしれません。そうすると、大国主が国譲りした葦原中國は朝倉だった可能性もあると思います。日本書紀には天日隅宮として登場しています。
内村田神社は、国道386号線の弥永交差点の北西400mほどの山の麓の内村区に鎮座しています。筑前町にはたくさんの「田神社」があるようです。御祭神は、埴安命を祀りますが天神様とも呼ばれています。この神社は名前の通り農耕の神様として信仰が厚く、手水盤の水を受けて帰り、小笹で田畑に振ると害虫駆除になると言われていました。また、「イボ」や「白なまず」と言われる皮膚病に、この水を受けて患部につけると治ると言われていました。その境内社に日隅宮(うずのみや)が鎮座します。記紀では「ひすみのみや」といいます。大国主命の国譲りの交渉で、国(葦原中国)を空け渡し高木大神(高皇産霊尊)から天日隅宮を建ててもらい、天穂日命に祀らせたと記紀は記しています。その日隅宮が、ここ内村区にあります。呼び方は「うずのみや」といいます。神社のある「弥永(いやなが)」という地名は、かつてあった筑前秋月藩の夜須郡(やすぐん)弥永村に由来します。明治22年(1889年)弥永村、大塚村、高田村、依井村、野町村、久光村が合併して大三輪村となり、弥永村は消滅しました。明治29年(1896年)朝倉郡(あさくらぐん)大三輪村となりました。明治41年(1908年)大三輪村・栗田村が合併して三輪村が発足しました。昭和37年(1962年)三輪村が町制施行して三輪町となりました。平成17年(2005年)三輪町・夜須町が合併して筑前町が発足しました。田神社(埴安神社)は、土を司る神と信仰されている埴安神が祀られています。また、田の神様である猿田彦も祀られています。埴安神は、土の神、田畑土壌の神、地鎮祭の神とも呼ばれ、五穀豊穣や商売繁盛などの御利益があるとされています。
| 名前 |
内村田神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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県道594でバイバスを過ぎ、左集落から左折し、耕作地の間を進むと山際に神社は鎮座している。神社関する説明文が神社前に掲示されている。御祭神は埴安命とある。久光田神社で同じ御祭神に出会った。農耕の守り神ともある。拝殿と本殿の分離型である。