上杉謙信の霊屋、歴史の息吹!
上杉謙信廟の特徴
奥之院駐車場からの歩き方が重要でアクセスしやすいです。
伝説の戦国大名・上杉謙信の霊屋が佇む荘厳な場所です。
石垣の切れ目からのアプローチが美しい景観を楽しめます。
世界遺産登録資産でもある上杉謙信霊屋・・・彩色も残っており立派な霊屋です。
つわものどもが夢のあと💐
奥之院駐車場から歩くと結構あるので、Googleマップで位置を確認しながら道路側帯の駐車区域に停めて、石垣の切れ目からアプローチするのが良いと思います。信玄公の供養塔は見つけやすいですが、謙信公のは苦戦しました。川中島の2人の概念図を思い浮かべて上段を探すと、かっこいい建屋が見えてくるはずです。
越後の龍と称された戦国大名・上杉謙信とその息子、景勝の廟です。国の重要文化財に指定されています。武田信玄の墓は参道を挟んで南側にあります。
上杉謙信と上杉景勝の霊屋です。
| 名前 |
上杉謙信廟 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
上杉謙信と景勝の廟墓(びょうぼ)の創建は不明です。様式手法から江戸時代初期の造営と推定されています。上杉謙信は、天正6年(1578)に死亡しました。「高野山文書」の天正7年の頃に「謙信廟前にて晝夜の勤行」と記載されていることから、このころに何らかの廟舎が造られていたと考えられています。現在合祀されている謙信の子景勝は、元和元年(1615)に亡くなり、謙信廟の東隣に廟舎が建てられていたことが紀伊続風土記に記されています。紀伊続風土記の記された天保年間(1830-1844)までは、2棟が並列していました。その後、合祀され、修理とともに塗装も塗り直されています。なお謙信の名は天正2年(1574)、45歳で上洛した時、高野山も訪れ、その折贈られた法名であるといわれています。昭和40年に国の重要文化財に指定されています。