歴史を感じる上甑島の丘。
亀城跡の特徴
上甑島の里地区を見下ろす小高い丘に位置しています。
鎌倉時代からの歴史を感じる場所として訪れる価値があります。
頂上近くまで車でも上がれる便利な城趾公園です。
武家屋敷通りの後に訪問。歴史のある小学校の横から登ります。展望台有りますが石垣などは気が付きませんでした。
普通の公園で、城址感はあまり無いかな。里港などを見下ろせる眺望は良いので、昔の殿様はこの景色をみてたのかなぁと思いを馳せることはできますが、甑島が絶景だらけなので、他の絶景スポットと比較するとわざわざ来るほどではないかと。桜の時期で花見のオサーンが酔ってました(笑)
里港から徒歩15分ほどで到着します。頂上部には古い招魂碑と、新たに建てられた戦没者慰霊之塔と名付けられた碑があります。前者は明治35年4月10日建立で、傍らには戊辰役,台湾役,西南役,日清役,日露役の旧里村出身戦没者名等が掘られた小さ石碑も建っていますが、一部は殆ど読み取れないほど傷んでいます。しかし慰霊之塔前方の“戦歿者俗名”を見る限り、既に全員こちらへ引っ越し済みな様で(人数が一致)、少し安心しました。展望台からの眺めはまずまずですが、北側のトンボロ地形を見るにはもう少し高さが欲しい所でしょうか。以下、慰霊之塔の碑文です。-----------------------------------------------建立のことば遠く戊辰の役に始まり台湾征伐,明治十年西南の役,二十七八年日清戦争,三十七八年日露戦争とつづき済南事変,大東亜戦争と戦禍は世界大戦争にまで拡大,之等幾多の内戦,外戦に招集されて国家の為,尊き犠牲となって,戦場に散華された,吾が里村一九六名勇士の英魂を迎えて,永へに慰め祀らんものと,村民総意の許にこの慰霊塔を建立した。吾が父,吾が夫,吾が兄吾が弟,吾が子の御霊以て瞑せよ。昭和四十年四月吉日。
昔は鶴城もあったとか鶴と亀〜🎶キレイな展望台の眺めが良いわけではないが里が一望出来ますねとんぼろが見える訳ではないのでご注意。
今は遺構も残っていないが、鎌倉時代からの歴史を偲ぶところ。
上甑島の里地区の集落を見下ろす小高い丘の上に残る城跡です。 城のすぐ下には地頭仮屋があった里小学校があります。承久の乱(1221年)で戦功をたてた鎌倉方の武将の小川氏が地頭として甑島に入り、この地に築城したと言われています。丘の頂上にある広場の奥には2階建の展望台が設けてあります。広場までは車で上がることができ、途中にも小さな広場とトイレがあります。
静かで城跡を堪能出来ました。昔の栄華がしのばれます。
昔々の山城タイプなので、立派な石垣などはありませんが、低山から里の町を眼下に望むことができます。
ほとんど何も残っていない小さな城跡です。武家屋敷跡の駐車場に車を置いたまま坂道を300mほど登って行きました。行ってみたら二の段に駐車場もあったので、車でも行けます。ここと合わせて鶴城もあったようです。南東方向を眺めましたが、どの山か不明でした。途中にある戦没者慰霊の塔に石垣がありますが、これは城の石垣ではないようです。かなり昔の戦から全部まとめて、みたいな慰霊碑でした。一番上にある展望あづま屋は、割と新しい感じです。その1階には釣鐘がありますが、打てないようにしてあります。釣鐘の説明板は古文書かと思えるほど判読が難しい(笑)。通称「ドン」呼ばれていた。時計がない時代に時刻を知らせた。くらいはわかりました。釣鐘の先に進むと、フェリー乗り場の港方向が見えました。2階に登っても、それほど眺望は変わりません。この高さの山でも、昔は見晴らしは良かったでしょうから、港を守るには十分な城であったと想像できました。
| 名前 |
亀城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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遊歩道はしっかり整備されてます釣り鐘(ドン)はヒビが入っているので叩かないで下さい。