歴史を感じる己斐の殉教碑。
広島キリシタン殉教之碑の特徴
やさしく波静かな己斐の地にある歴史的な記念碑です。
キリシタン殉教者の苦難が刻まれた由緒ある場所です。
西国街道沿いに位置し、歴史めぐりに最適なスポットです。
磔とか穴吊とかも書かれています。
| 名前 |
広島キリシタン殉教之碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/kibe187/hiroshima/ |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
己斐の歴史めぐり西国街道(旧山陽道)の歴史めぐりNo.02 キリシタン殉教之碑-----説明文より-----殉教碑題記広島でキリスト教の伝道がはじまったのは一五九九年である その翌年 関ヶ原戦の結果 藩主毛利氏は萩に移り代わって入城したのは福島氏であった 幕府の禁令によって キリシタンの取締りはいっそう厳しいものとなり 広島ての宣教十七年後 最初の殉教者が出るに至った そのあと浅野氏の時代を迎え 激しい迫害と弾圧が続いた 峻烈な拷問にも屈せす信仰を全うして 天国に召された方たちの史実と 正確を期してここに記録し附近に刑場のあったこの地に碑石を建立する一六一六年十一月二十六日 磔 ドミンゴ星野嘉蔵一六二四年 二月 十六日 新首 フランシスコ遠山甚太郎二月 十六日 新首 ルイス信吉二月 十九日 磔 マチアス庄原市左衛門三月 八日 磔 ヨアキム九郎右衛門一六三四年 二月 十三日 火焙 三名 加左衛門と妻子二月 十三日 火焙 二名 麹屋の統 イサベル一六三六年 五月二十三日 穴吊 宗 清一六四六年十二月二十三日 牢死 野村八左衛門一六五二年 八月二十八日 牢死 八郎右衛門妻九月 二十日 牢死 野村伝介一六五三年 牢死 与八郎一六五四年 二月 三日 斬首 七名 横江忠左衛門 野村伝介妻 久三郎 善太夫 善太夫妻 七兵衛、長右衛門この外 捕えられて行方不明となり 処刑されたと推定されるものなど 史実が定かでないもの多数に及ぶ この方たちを含め崇高な先人の信仰の跡を偲び 謹んで祈念し顕彰するものである一九八四年二月十二日 殉教記念碑を建てる会。