松原六社参りで酒屋神社へ。
酒屋神社の特徴
屯倉神社の境内に鎮座する由緒ある神社です。
延喜式巻九神名帳にも記載される歴史的な信仰の場です。
三宅村の西から移転した伝統深い神社です。
松原六社参りでお参りしました。
境内で祀られています。
雰囲気が良いです。
屯倉神社の境内に鎮座されている『酒屋神社』は、元は三宅村の西にあり、延喜式巻九神名帳に由れば 丹比郡十一座の一つで、所謂 式内社と呼ばれる神社でした。旧社地の西側に『酒蓋池』があり、東側には『酒屋井』という井戸があって、そこから神が出現されたので、『酒屋権現』とも称されてました。また、この地域に屯倉(みやけ)の米と酒屋井の水とで、酒を作り朝廷に貢いでいた『中臣酒屋連』が居住して、その祖神を祀ったとも思われているそうです。
| 名前 |
酒屋神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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酒屋神社(さかやじんじゃ)。大阪府松原市三宅中。式内社(小)、旧村社。屯倉神社境内社。【祭神】津速魂命(ツハヤムスヒノミコト、天児屋根命の祖神)【関係氏族】中臣ノ酒屋連資料によると、大海池の北西、屯倉神社の社殿の北側に西向きの社殿をもつ境内社として祀られている。旧地は松原市三宅中6丁目で児童公園になっているが、その地には前方後円墳の権現山古墳が築造されていた。権現山古墳は全壊しているが、その名の由来は、酒屋神社が酒屋権現ともよばれていたことによる。旧社地の400m北を南限とした彌生時代の瓜破遺跡は宏大な遺跡で、早くから大和川川床で土器が採集されたりしている。この遺跡北部で彌生時代に中国から渡来した『貨泉』や五世紀代の須恵器を大量に含む包含層や奈良時代末の寺院址が検出されている。この遺跡は摂津国住吉郡楯原神社と当社の間に存した集落の遺跡として非常に重要な意味をもっている。祭神は津速魂命。明治40年(1907年)に屯倉神社境内へ移された。当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、『新撰姓氏録』河内国神別に津速魂命の十九世孫、真人連公の後裔であるという「中臣酒屋連」が記載されており、この氏族が祖神を祀ったと考えられます。社伝によれば、旧社地の西に「酒蓋池」と呼ばれる池があり、その池の北東にあった「酒屋井」と呼ばれた井戸に神が出現されたと伝えられ、「酒屋権現」とも称したようです。当地の地名である「三宅」は『倭名類聚抄』河内国丹比郡の「三宅郷」の遺称であり、古い地名です。三宅・屯倉とは古い時代における朝廷の直轄地のことで、当地付近の摂津と河内に跨る広い範囲に「依網屯倉」が設置されていたものと考えられています。また、当社の北西、大阪市東住吉区住道矢田に式内社の「中臣須牟地神社」が鎮座しており、同じ中臣系の神社として関係性が考えられるかもしれません。『延喜式』玄蕃寮に、入朝した新羅の客のために中臣一人を派遣して住道社で酒を醸し難波館で振る舞う旨の記載があります。ここに言う酒造りを任された中臣氏の人物とは、まさに当社を奉斎した「中臣酒屋連」だった可能性が考えられます。「中臣酒屋連」は平時は三宅の地で得た米で酒を造りつつ、新羅の賓客の来朝する予定がある時に「中臣須牟地神社」へ赴き諸国の神社から集めた米で酒を造ったのではなかったでしょうか。或いは「中臣須牟地神社」と一体となって酒造りに臨んだのかもしれません。古代の三宅、そして磯歯津路と朝廷にとって重要な地に居住した中臣氏は国家事業に関わる重要な役目を担っていたと思われます。とあります。