歴史と絶景の交差点、銭瓶峠。
銭瓶峠の特徴
銭瓶峠は海抜335メートルの絶景ポイントです。
高崎山登山口が近く、癒しのコースを楽しめます。
美しい土地で景観が良く、バイクの要所にもなっています。
言われはありますが、看板があり、カンカン石があります。いつも別府から狭間に抜け道で使います。
ここから別府方面あたりにキャンプ場があったら挾間と別府湾の両方が見れて景色いいだろなと常々思い通ります。
ここから別府方面にクロスバイクで下ったが景観も良くとても気持ち良かった。ただし、坂の傾斜が急であり歩道も舗装されていないので背後から車が接近すると少し恐い。
海抜335メール地点の銭瓶峠。古来より別府・由布院・狭間・大分へ行き交う重要交通網だったようだ。峠へに勾配はかなりキツい。
高崎山登山口の駐車場があります。20台以上とめられます。
高崎山登山口です。偶然猿の群れのB群を柵内に連れ戻す作業中でした。ホーイという掛け声で猿を誘導していた高崎山の職員さん曰く、ちょうど出産のピークで40匹は産まれているようだ、とのことです。ちっちゃくてなんともカワユイ。今度は餌場を訪問してみよう。
イニシャルDみたい。
中世の歴史とおサルに会える癒しのコース。高崎山南登山口には、水を使わず微生物の力で排泄物を肥料に変える、自然に優しいバイオトイレが2基あります。
高崎山南登山口駐車場の近くに有る峠です。案内板には江戸時代に争い事があった見たいですが、何年か前もトラブルがあった事を思い出しました。珍しい石も置いています。
| 名前 |
銭瓶峠 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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古くはから大友氏の本拠地である豊後府内(現在の大分市街)と別府を繋ぐ道で、湯布院からの道も来ている交通の要衝であった。加えて隣の高崎山城の侵入経路になりえる地だったようで高崎山城を巡って数多く戦が行われたようだ。〇菊池氏との戦い1358年12月、菊池武光と懐良親王は豊後に侵攻した。豊後守護 大友氏時は1349年に高崎山城を本格的に整備し本拠地である豊後府内の守りとした。菊池率いる南朝方は高崎山の目前であるここ銭瓶峠に布陣し高崎山城を攻めたがついに落とすことが出来ずに撤退した。だが翌年1359年8月におこった筑後川の合戦の戦いの後は南朝有利となり大友氏は劣勢となる。1361年、1371年にも菊池氏は豊後に侵攻するが守り抜いたとされる。同1371年に今川了俊率いる北朝方が大宰府を落とし南朝方は劣勢となっていく。〇島津氏との戦い1586年、九州南部を勢力下に治めた島津氏は北部へ侵攻する(豊薩合戦)。守りの要であった立花道雪を前年に亡くした大友氏は大幅に弱体化しており豊臣秀吉に援軍を求める。島津氏側は援軍が到着する前に九州全域を制圧するべく「肥後方面から大宰府・北九州を攻める軍」「日向方面から豊後方面を攻める軍」をそれぞれ進めた。1587年1月、秀吉の先発隊(長宗我部元親・信親、仙石秀久、十河存保ら)と合流した大友氏は戸次川の戦いで島津氏と戦うが大敗。大友氏本拠地であった府内には当時は府内城はなく防御するのが難しい地であったため府内を放棄し高崎山城へ逃れる。大友氏はすぐに宇佐の豊前龍王城に逃れたため高崎山城を攻めた詳細な資料はないようだが要衝であった銭瓶峠が舞台になったのは間違いないと思われる。その後、秀吉の本隊が九州に向かっていることが分かると島津氏は撤退し最終的に九州は平定される。