麻續神社で穏やかなひととき。
麻續神社の特徴
創建年代は不詳でも、平安時代に由来があります。
延喜式神名帳に記載されている由緒ある社です。
穏やかな優しい雰囲気が魅力の神社です。
麻續神社(おおみじんじゃ)。三重県多気郡明和町中海。式内社(小)、旧郷社。主祭神:豊城入彦命豊鍬入姫命 須佐之男命 応神天皇大己貴命 宇迦之御魂神 豊受比賣神不詳三座資料によると、創祀年代は不詳。式内社・麻續神社の論社となっており、延喜斎宮式に、斎宮の祈年祭や新嘗祭に預かっている古社。江戸時代には八王子と称し、当村の産土神として尊崇された神社。御巫清直によると、鎮座地・中海は、中麻績の約まったもので、『三代実録』貞観五年(八六三)八月十九日条に、「伊勢國多氣郡百姓外少初位下麻續部愚麻呂。麻續部廣永等十六人。復本姓中麻續公。愚麻呂等自款云。豊城入彦命之後也。」とあり、本姓中麻績公に復した伊勢国多気郡の百姓外少初位下麻續部の愚麻呂。麻續部の廣永等十六人が自ら豊城入彦命の後裔であるとする記事を元に、当社は、中麻績氏の祖神である豊城入彦命を祀る神社であるという。明治初年、中海の旧名である中麻績神社と改称。明治三十九年十二月神饌幣帛供進社に指定され、明治四十五年四月十一日、当社の境内社天之真井神社、別宮社、坂本の佐賀茂登神社と境内社天瓊鉾神社、天雨拝現神社、若宮八幡神社、稲荷神社、坂本の田中神社と境内社八柱神社、馬之上の栗須美神社、美里神社、宇気比神社、須賀神社を合祀して、麻績神社と改めた。坂本の佐賀茂登神社に関しては、昭和四十三年、坂本神社として分祀し、旧社地へ戻されている。とあります。
麻續神社(おおみじんじゃ)の創建年代は不詳ですが、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』(927年)には式内社「麻續神社」と記載されているといいます。現在の神社が該当するかはわかっていませんが、その名は太古から伝わっています。古代豪族で織物の技術・機織に関係した麻績氏(おみし)と深い関わりを持ち、その祖神である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を主祭神としています。~『三代実録』(貞観5年(863))~伊勢国多気郡の農民、麻續部愚麻呂(おみべのぐまろ)たちがこう言いました「自分たちは豊城入彦命の子孫です。昔の本当の名は中麻續公(なかのおみのきみ)でした。だからそれに戻したいのです」この願いは正式に認められ、麻績氏の祖神を祀ったといいます。豊城入彦命は古代日本の皇族であり、父は第10代崇神天皇です。東国(関東・東北地方)と深く関係する人物で、東国鎮撫(ちんぶ) のために派遣され、現地の平定・統治に当たりました。上毛野氏(かみつけぬし)や下毛野氏(しもつけぬし)など東国の有力豪族の祖とされ、関東地方の開拓神・祖神として信仰されるようになりました。一之宮貫前神社(群馬県)は入彦命と関係深い神社として知られ、また、宇都宮二荒山神社(栃木県)でも豊城入彦命を主祭神とされています。
麻續神社(おみじんじゃ)御祭神は豊城入彦命豊鍬入姫命須佐之男命応神天皇大己貴命宇迦之御魂神豊受比賣神不詳三座延喜式神名帖伊勢國多気郡五十二座の一つ同じく式内社伊勢國多氣郡 火地神社も合祀されている。鎮座地の「中海」は、中麻績の約まったもので、中麻績氏の祖神である豊城入彦命を祀る神社であるという。明治初年、中海の旧名である中麻績神社と改称。明治45年4月11日、当社の境内社天之真井神社、別宮社、坂本の佐賀茂登神社と境内社天瓊鉾神社、天雨拝現神社、若宮八幡神社、稲荷神社、坂本の田中神社と境内社八柱神社、馬之上の栗須美神社、美里神社、宇気比神社、須賀神社を合祀して麻續神社と改めました。坂本の佐賀茂登神社に関しては、昭和43年11月、坂本神社として分祀し旧社地へ戻されています。社殿は神明造りで千木は外削ぎ、鰹木は奇数の5本なので外宮系の建築様式となっています。鳥居をくぐってすぐ目の前に大砲の玉の様なモニュメントがあります。銘板等説明がありませんが他の神社でもよくある、明治38年(1905年)日露戦争で日本の勝利を記念して置かれたものと思います。
ゆっくりした空気の流れ、穏やかな優しい雰囲気の場所でした。参拝のかたは誰もみえなかったですがお参りさせて頂きました、ありがとうございました。
| 名前 |
麻續神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63378 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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こちらにもねじれた木がありました。静かで良い神社です。