紫式部ゆかりの廬山寺、桔梗の美。
廬山寺の特徴
紫式部が執筆した場所として有名なお寺です。
桔梗の花が美しい庭園が魅力的です。
比叡山第十八世座主が創建した歴史ある寺院です。
平安時代、菅原道真が遣唐使を廃止してから国風文化は目覚ましく発展し幾人もの女流作家が活躍しました。紫式部はこの場所に有った曾祖父の邸宅に住み執筆活動をしていたそうです。これは昭和40年以降に確認されたそうで、廬山寺 ( rozanji )に住んでいたわけではありません。宮中などに係わる上流貴族はイケメンであっても和歌が詠めなければ相手にされなかったそうで、教養が重要視されました。紫式部の直筆の文書は現存確認されてないそうで、どんな筆でどんな字を書いていたのか知りたいものです。藤原定家の直筆は残っています、しかしお上手にも達筆とは申し上げられない筆跡です。日本語の歴史や由来を探るのも面白いかと思います。
京都御所近くにある紫式部が『源氏物語』を執筆されたゆかりの地とされる『廬山寺 ろざんじ』です😃天台宗系単立で、物語に因んだ桔梗の花の地としても知られているようです。今から千年以上前の平安時代にこちらで執筆されたのですね。
廬山寺(ろざんじ)は四宗兼学道場(天台宗、華厳宗、法相宗、三輪宗)という仏教諸宗を総合的に研究する場としてあった。ここで日本の女流文学者「紫式部」は育っている。彼女の曽祖父は誉れ高い「平安和歌の典型美」と称された「中納言藤原兼輔」であり、また漢詩・漢文の教養に優れた父の「為時」は唐の詩人(李白、杜甫)等を熟読していたといわれる文人であり官人。この様な環境に紫式部は育っている。父の為時からは「お前が男子であったらよかったのに.......」と言われるほどに父などから漢詩・漢文の教養を身に付けていたと言われている。藤原宣孝との結婚生活は三年という短いものであったが、彼との間に一人授かった賢子(かたこ)を育て「源氏物語」を執筆した場所として有名である。しかし、その後ずっと後には天明八年の大火災により焼失後、仙洞御所の一部が移築され、新しく現在の廬山寺として再建されている。
廬山 天台講寺(ろざん てんだいこうじ)は、京阪 出町柳駅の南西900mほどの京都市上京区北之辺町に伽藍を構える天台圓淨宗の本山となる寺院です。紫式部の邸宅跡として知られています。元三大師堂(如意輪観音を安置)は、洛陽三十三所観音霊場第32番札所です。比叡山延暦寺の中興の祖である良源(元三大師・慈恵大師:912〜985年)により、天慶元年(938年)平安京の北にある船岡山の南麓に與願金剛院が創建さレました。寛元3年(1245年)法然に帰依した住心房覚瑜(じゅしんぼうかくゆ)が出雲路に寺を建立し、宋の廬山にならい廬山寺と号しました。南北朝時代、この二か寺の住持を兼務していた照源(しょうげん:1298〜1368年)によって応安元年(1368年)に與願金剛院が廬山寺を吸収合併しました。しかし、新たな寺院名は廬山寺、正式名称:廬山天台講寺となりました。これにより円(天台宗)・密(密教)・戒(律宗)・浄(浄土教)の四宗兼学道場となりました。元亀3年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちの際には正親町天皇の女房奉書により被害を免れましたが、豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間(1573〜1593年)に南東3kmの現在地に移りました。宝永5年(1708年)の宝永の大火、天明8年(1788年)の天明の大火と度々火事のため焼失してしまいました。現在の本堂は、寛政6年(1794年)に仙洞御所の一部を移築して作られたものです。明治維新までは宮中の仏事を司る御黒戸四箇院(廬山寺、二尊院、般舟院、遣迎院)の一つでした。境内は、紫式部の邸宅跡です。『源氏庭』は、一面の白砂に設けられた苔地のたおやかな曲線が優しい平庭の枯山水です。紫式部ゆかりの庭には桔梗が清楚な風情を添えています。6月中旬~9月中旬頃まで桔梗の花が1500本~2000本の花が咲き誇ります。宮中で元三大師の修法を妨害する悪鬼を退散させた故事に因む節分行事‘鬼法楽’は有名です。『廬山寺陵』は、天皇、皇族の陵墓群で、皇室財産として宮内庁の管理下にあります。『御土居(おどい:国指定史跡)』は、豊臣秀吉によって築かれた京都を囲む土塁です。聚楽第、寺町、天正の地割とともに秀吉による京都改造事業の一つでで、境内東端に残っています。
京都御所近くにある、紫式部が『源氏物語』を執筆したと伝わる歴史あるお寺です。境内はとても静かで落ち着いており、白砂と苔が美しい「源氏庭」は心が安らぎます。夏には青紫の桔梗が咲き、枯山水の庭園と相まって平安時代にタイムスリップしたような気分になれます。紫式部や源氏物語にゆかりのある石碑や史跡も多く、文学好きにはたまらない場所です。節分の「鬼法楽」の行事では普段の静けさと違い、にぎやかな雰囲気も楽しめます。観光客は多すぎず、ゆっくり散策できる穴場的なスポットで、歴史と四季の美しさを感じたい方におすすめです。
京都御所にはよく来ていましたが、そのお隣に紫式部が執筆していた場所があるとは知りませんでした。京都に越してきて楽しいのは、歴史的な場所がたくさんある事ですが、若い頃もう少し勉強しとくべきだと後悔もあります。御所の横で物静かな場所なので、いろいろな想いを巡らせられます。
廬山天台講寺紫式部ゆかりのお寺紫式部は、現在の蘆山寺がある場所に住んでいたそう940年代に比叡山第18世座主の良源上人によって創建、現在の場所に移ってきたのは天正元年とのこと紫式部の父親がこの地に邸宅を建て、紫式部はその屋敷で育ち、娘の賢子を産み育て、59歳頃に亡くなるまで住んでいたと伝わっているらしい源氏物語のほか、紫式部日記などの執筆をしたのもこの地だったとか御朱印は直書きでいただく源氏物語御朱印帳もなかなかよき京阪出町柳、神宮丸太町、地下鉄今出川などアクセスも良好。
梨木神社の東隣にあるお寺。一般には紫式部の邸宅跡として知られています。寺が現在地に移転したのは式部の時代よりずっと後ですが、平安時代にはこのあたりに紫式部の父・藤原為時の邸宅があったとされます。「源氏物語」や「紫式部日記」もこの場所で執筆された可能性があるわけです。邸宅跡そのものは残っていなくても、紫式部のゆかりを偲ぶことができる場所として人気があります。有料(500円)で拝観できる堂内には本尊の阿弥陀三尊のほか、紫式部や源氏物語に関係した品(源氏物語絵巻の複製、源氏物語絵図の貝合わせなど)がいろいろ並べられています。また、源氏の庭と呼ばれるお庭では、桔梗がちらほらと美しい花を咲かせ始めていました。三連休の最終日、やはり大河ドラマの関係もあって、拝観客も多く賑わっていました。
源氏物語を高校で、愛読していた身としては、いつか来たかった執筆の地。沢山の展示がありました。写真撮影禁止なので現地を楽しみにしてください。とても感動しました!桔梗も咲きはじめての時期、素敵でした。
| 名前 |
廬山寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-231-0355 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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こじんまりとしたお寺でゆっくり拝観できる紅葉シーズンの土曜日でも人は少ないほぼいない。お庭が手入れされており、とても綺麗ゆっくり見られて満足。