高桐院の静けさ、紅葉の彩。
高桐院の特徴
高桐院は、天下人秀吉の茶頭、細川忠興が建立したお寺です。
江戸時代初期の歴史を感じられる、竹林と庭園が美しい場所です。
大徳寺の中でも訪れる人が少なく、静けさが際立つ隠れた名所です。
2024年3月10日に訪問しました。大徳寺の塔頭です。訪問時は非公開になっていました。調べてみると、以前は通年公開寺院として青もみじ・紅葉の名所だったようですが、2020年頃から拝観休止(コロナの影響?)になっているとのことです。再開の時期は未定ですが、再開が待ち遠しいですね。
今は臨時休業中みたいですが、昔の写真を見ていて出てきたので、クチコミを書かせていただきました(^o^)vこちらは、『JR東海』のCM『そうだ京都に行こう』に出てきた場所で自分が京都のお寺の中で1番好きな場所です☆お薦めポイントは2つ!!①入り口からのアプローチが竹に囲まれていてなんとも言えない雰囲気が出ています。雨の日に行くと石畳が濡れていて最高のロケーションになってます♪②写真にもある広い庭園です。後ろの方から撮っているので、解りづらいかもしれませんが、何十分でも座って見ていられる風情のある庭が最高です♪コロナが終息した後の京都旅行の予定に是非!!
緑と建造物の調和。
天下人秀吉の茶頭であった利休の高弟、細川忠興創建のお寺でその書院は利休邸を移したものだとか。正門入口に到るまでの、灌木が通路に対して整然と列を為しては宙を覆って光も柔らかにあるなかで、その豊かな緑苔の地に一直線に走る、デザインに遊びのある石敷きの路次が印象的である。そうした色彩、光加減、直線的なデザインという技芸を凝らした工夫のある路次を行くのは緊張を強いるが、やがて出る主庭は浅く緑苔を敷き、涼やかな楓を数本植えたのみの開放的で、軽やかなそれであり、そこに安堵を覚える仕掛けである。勿論、どちらも計算された美しさであり、どちらがどうとは言えないが、やはり主庭の軽やかさにみなさん、ほっとする様子。利休とは?と考えて行ったが、それで何が分かるわけでもない。ただ、庭園帰路に掲げられていた画像の偈にはそれなりに考えさせられるものがあったが、禪的に言えば、こんなもん真っ二つに割るべきであったか?
大徳寺の塔頭の中の一つです。細川忠興が建立しました。妻のガラシャのお墓があります。
その(遥か)昔、徒歩圏内の下宿に住んでいた当時は大学生だったこともあり、散歩がてら大徳寺境内に赴くことはあったが、高桐院をゆっくりと愛でることなど考えも及ばず…年月を経て東京住まいとなり、気付いたらすでにミドルエイジの仲間入り。ようやく神社仏閣を違和感なく訪れるようになったなあと。こちらへの訪問当日(06年6月)はイノダコーヒで朝食⇨一澤信三郎帆布で行列に並びショッピング⇨糺の森散策⇨高桐院⇨今宮神社のあぶり餅⇨帰京という慌ただしいスケジュールではあったが、中々に充実した一日だった。JR「そうだ 京都、行こう」キャンペーンポスターの効果もあり、梅雨の時期とは言えそれなりの人出だったように思う。やはり茶室と庭からの風景が印象に残っており、わびさびの世界をたっぷりと堪能できた。幸い当時は海外からの旅行客も今ほどではなく、ちょっと畳に寝転んでぼーっとする時間は贅沢そのものであった。
『そうだ 京都、行こう。』のシリーズにも登場したことのある寺院。そのポスターの時期は秋の紅葉の時期ですが、冬の高桐院もシャンとした空気がありとても素敵でした。今回訪問した時、拝観者は私と母の2人だけ貸し切り状態でした。それほど大きくないのに茶室が3つくらいあって驚きました(ちゃんと数えていなくてすみません)つい最近、工事が終わり拝観が可能になったとのこと。大徳寺に訪問の際は是非、高桐院も観て行った方が良いと思いました。
2016年9月に拝観しました。何度目かは不明。慶長6年(1601)細川忠興の創建だそうです。忠興が愛好した石灯籠が、忠興とガラシャ夫人の墓石になっているそうです。
コロナの影響で閉まってました↓11/10再訪。相変わらず拝観不可。門は開いてたが入れないようになっていた。
| 名前 |
高桐院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
075-492-0068 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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「高桐院(こうとういん)」は、臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺の塔頭の一つになります。山門前の松が山門側へ傾いているので山門の写真を撮ろうとすると映り込んでくる。山門から先に見える参道の苔が美しかった。境内には、千利休の邸宅を移築したものといわれている書院、二畳台目の簡素な茶室松向軒や忠興・ガラシャ夫妻のお墓がある。方丈南庭は、新緑・紅葉がともに美しく風情を楽しむことが出来る。大徳寺で一般公開をしている数少ない寺院でしたが、山門前に一般拝観休止と案内が掲示されています。尚、諸事情により令和2年4月より拝観休止となっており、再開は未定のようです。す。【高桐院の歴史】1601年(慶長6年)に利休七哲の一人である豊前国小倉藩の初代藩主の細川忠興(三斎)が創建したお寺になります。細川忠興は、正保2年(1645年)に83歳で没し、遺言によりその遺歯が高桐院に埋葬された。それ以後、細川家の菩提寺として庇護されています。本堂は、明治時代の廃仏毀釈により破却された。その後、大正時代になり細川忠興の末裔である侯爵細川護立により再建された建物になります。2025年9月訪門。