藤原純友の叛乱で築かれた山。
妙見嶽城跡の特徴
里山と呼ばれる標高のない山で、楽しく探検できます。
藤原純友が築いた歴史深い城跡です。
自然豊かな環境での穏やかな時間を提供します。
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里山で標高はありませんが楽しめる山です。
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| 名前 |
妙見嶽城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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藤原純友が叛乱のとき築いたといわれる。その後、大内氏が豊前統治のため杉氏などの代将を置き代々守備した。弘治3年1557年大内氏が滅ぶと大友氏の支配となる。天正14年1568年薩摩軍が豊後侵攻際、大友義統の弟田原親盛在城で府内から逃れた義統をかくまう。以下「大分の中世城館」の縄張り図、表記を参考にしました。標高442mの妙見嶽頂上の主郭Ⅰから4方向に広がる尾根に曲輪群、畝状竪堀群、堀切を設けてた広大な城郭。香下ダムの登山口から北谷筋をしばらく登ると射場越しで東の尾根を登る。手洗い岩のある北西尾根dの曲輪Ⅳで南西斜面に畝状竪堀群。主郭方向に馬場跡があり帯曲輪の東側が北尾根cの曲輪Ⅲ、曲輪群を南に登る城道があり虎口から主郭へ。主郭の南西部に基壇上の高まりのある櫓台跡がある。東尾根bは平坦地の東に曲輪Ⅱがあり東側下部に石積みのある曲輪群があり堀切、竪堀で防御、曲輪Ⅱの南側斜面にも数十の畝状竪堀群みもの。西尾根eは3本の堀切、竪堀があり西に曲輪Ⅴがさらに曲輪群が。主郭に城案内板があり眺望はありません。北尾根c曲輪Ⅲからは眺望あり。登山口のすぐ先に広い駐車場あります。登山口から主郭までは写真と途中曲輪を経由したので約70分でした。久しぶりの再訪で探索しがいのある豊前宇佐地方でもっとも良い城だと思います。