醍醐天皇創建の神社で心おだやか。
三之宮(山科三之宮)の特徴
醍醐天皇創建と伝えられる、由緒ある神社でお参りを楽しめます。
毎年10月に大きなお祭りが開催され、多くの人々で賑わいます。
東野公園横に位置し、木々に囲まれた静かな雰囲気が魅力的です。
近くに住んでおり、お参り後は公園でウォークしています。
京阪バス八反畑バス停で下車し、陸橋のところを西に妙見通をしばらく歩くと南側に見えてきます。大木の上の方が切られているのが印象的で、それでも葉が茂っていることに生命力を感じました。八反畑は旧家も散見されるので楽しかったです。
実家の氏神様。地元では「三之宮さん」と呼ばれる神社で、正式名称は「三之宮」とも「山科三之宮」ともいい、名称に神社はつかない。山科一之宮である山科神社の三之宮からそのまま「三之宮」となったようだ。ちなみに山科二之宮は中臣神社。祭神は「鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」。日本書紀では「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」といい、古事記では「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」という。この「鸕鶿草葺不合尊」とは、地神五代の5代目、日向三代の3代目といわれる神話の神様で、神武天皇の父とされる。鸕鶿草葺不合尊の父は山幸彦の名で知られる彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)である。神話では、兄の海幸彦(火闌降命 ほすせりのみこと)から借りた釣針を探しに海中へ行ったところ出会った海神の娘・豊玉姫と恋に落ち結ばれた。やがて豊玉姫が身籠り、出産する際に作る産屋に鸕鶿(鵜:う)の羽を草(かや)として葺くところを屋根の上の部分が間に合わずに葺き合わせなかったことから、鸕鶿草葺不合尊と名付けられたと伝わる。この鸕鶿草葺不合尊は後に母である豊玉姫の妹(つまり叔母)の 玉依姫と結婚し、神武天皇を設けた。さて、「三之宮」の話。醍醐天皇の治世下、延喜年間(901〜923年)の創建と伝わるが、醍醐天皇による勅願ともいわれており、天皇家の先祖であり、初代・神武天皇の父である鸕鶿草葺不合尊を祀ったのは、摂政・関白を置かずに親政を行った醍醐天皇による先祖への崇敬のあらわれではなかろうか。後に醍醐天皇も三之宮に合祀されている。その後、甚だしく頽廃していた三之宮は室町時代に入ると後小松天皇の勅により再興され、後小松天皇自らによる御宸筆3巻を含めた大般若経600巻、大般若十六善神本尊が下賜された。※トンチで有名な一休さん(一休宗純)は後小松天皇の御落胤といわれる。以降、近世に至るまでこの経典の輪読供養が年に3回 山科郷士の間で廻り持ち行われることになり、三之宮は山科の総鎮守社という位置付けとなったようだ。江戸時代に入り、後水尾天皇の崇敬も深く、社殿が再興され、社領20石の下賜、さらには綸旨により勅願所となった。以降、明治まで宮中より神供米一石が毎年下賜されることとなった。いまは住宅街にある静かな社だが、山科(あるいは山科郷士)と朝廷との深い結びつきの一端にわずかでも触れることができる場所かもしれない。#三之宮 #山科三之宮 #鸕鶿草葺不合尊 #醍醐天皇 #後小松天皇 #後水尾天皇 #山科の歴史。
東野近くにお世話になっているのでご挨拶にお参りさせていただきました。とても静かで落ち着いた良いところです。
東野近くにお世話になっているのでご挨拶にお参りさせていただきました。とても静かで落ち着いた良いところです。
山科の真ん中あたりに、こんな素敵な場所があったなんて。
宮司さんが不在で帰ってくるまで時間をつぶして、再訪問して御朱印頂きました。カッチョいいですよ~。愛想もよく、気持ちよかったです。
氏神さまで子供の頃から初詣と毎月のお朔日参りしています。
祭事で忙しい中、快く御朱印を書いて頂きました。
| 名前 |
三之宮(山科三之宮) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
075-593-6468 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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お祭りでおじゃましました。神輿会の方々皆さん気さくで楽しい方々でした。私が男だったら(しかももっと身長があったら)担ぎ手になりたかったwww