三瀬街道・金武宿で活気を感じる。
旧三瀬街道と金武宿の特徴
かつて旅人で賑わった金武宿の活気ある歴史があります。
三瀬街道沿いに位置する歴史深い人馬継所です。
筑前二十一宿の一つとして訪れる価値があります。
かつて佐賀と福岡とを結んだ「三瀬街道」で、馬や人足の手配をする人馬継所であった「金武宿」は、木賃宿や染物屋、質屋、雑貨屋などが軒を連ね、旅人で活気に満ちていたらしい。現在は往時の賑わいは(全く)ないが。
筑前二十一宿と案内板にも書かれていますが、長崎街道の筑前六宿を合わせて筑前二十七宿という呼び方もあります。宿場としては大規模なものだったのでしょうが、現在は漆喰の建物がわずかに残っているだけです。少しカーブしながら続く道が、往時の姿を偲ばせます。
| 名前 |
旧三瀬街道と金武宿 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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なんとなく面影が残る住宅街に看板が設置されています。「早良平野には江戸時代中期頃から明治時代にかけて、佐賀と福岡とを結ぶ「三瀬街道」が通っていました。三瀬街道の要所にあたる金武には「金武宿」とよばれる宿場があり、筑前福岡藩領内の宿駅である筑前二十一宿の一つに数えられていました。金武宿の中心は人馬継所(馬や人足の手配所)で、肥前から福岡へ向かう米や木炭などの荷物を積んだ馬の住来が多く、未賃宿が一軒ありました。また、福岡から肥前へは塩や海産物などの商品を山越えして運び、金武宿で荷さばきなどを行っていました。その他、金武宿には古くから醤油屋、酒屋があり、遅れて紺屋、質屋、雑貨屋などが軒を連ね、武士や商人などの旅人や近くの住民達で活気に満ちあふれていました。都市の発展とともに近代的な建物が増える中で、石垣や漆順壁の蔵などが当時のまま残っています。」