新調された鳥居でお詣りを。
天豊足柄姫命神社(石神社)の特徴
鳥居が新調されて、地域の憩いの場となった神社です。
毎年お正月にお詣りする方が多い伝統のある神社です。
浜田市殿町に位置する、通称石神社として親しまれています。
小さな無人の神社。
鳥居が総代さんにより新調され、浜田市民の憩いの場として、これから楽しみです。
一間社流造だけど屋根は直線的で千木・勝男木も載っているので神明造を志向か。
毎年 お正月には お詣りしています。
浜田市殿町に通称〔石神社〕と呼ばれる神社がある。調べてみると正式には〔天豊足柄姫命神社〕というらしい。境内の右側に芭蕉句碑がある。ふる池や蛙とひこむ水の音 はせをまた、本殿裏には浜田城主歴代碑も建っている。浜田藩との関係が深いことを示唆する碑。
| 名前 |
天豊足柄姫命神社(石神社) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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天豊足柄姫命神社(あめのとよたらしからひめのみことじんじゃ)石神社。島根県 島根県浜田市殿町。式内社(小)石見天豊足柄姫命神社、旧県社。【祭神】天豊足柄姫命(あめのとよたらしからひめのみこと) (配祀)豊受姫命【祭祀対象】本来は石を祀る天豊足柄姫命は、主に島根県浜田市の天豊足柄姫命神社(石神社)で祀られている神様で、石見国(いわみくに)を開き、万物の豊穣・繁栄、衣食、夫婦円満などを司るとされています。神話の登場人物というよりは、地域に根ざし、人々に恵みをもたらす神として崇敬されています。資料によると、境内入口の鳥居の横に、草に隠れて、「石神社記」と刻まれた碑文がある。当社は、通称を石神社といい、地図にも石神社と記されている。鳥居の正面が社殿で、後方に本殿。社殿の右側に、歴代の浜田藩主を祀る境内社・亀山神社が付属しており、その後方には、「浜田城主歴代碑」の石碑が建っている。どうやら、浜田藩と強い関連のある神社のようだ。創祀年代は不詳。祭神・天豊足柄姫命に関しても不明。社後に大石があり、本来この石を石神として祀り、その後に神殿を建築したものと思われる。石になった女神とする説があるらしいが、当地では、衣食の道を教えた、殖産興業の女神として崇敬されている。三代実録には、「石見国石神社授従五位下」とある神社。元和六年(1620)、吉田大膳太夫重治が、伊勢国より浜田へ入部し、浜田城を築城、城下町経営を開始するにあたり、城郭内に祀ったという。以来、城主の崇敬篤く、明治になって県社となった。配祀の豊受姫命は、境内社・稲荷神社に祀られていたが、明治七年四月に、本社に合祀されたもの。とあります。参考として、島根県邑智郡邑南町八色石の龍岩神社に、天豊足柄姫命の伝説が残されている。天下った出雲の八束水臣津野命(須佐之男命の4世孫)の前に天豊足柄姫命が現れ、この国に八色石という巨岩があり、山河は枯れ、蛇と化して民を悩ませていると告げた。命は青民草のためにこれを滅ぼそうとした。姫に手引きされた八束水臣津野命が赴き、八色石を二段に切った。その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は美濃郡の角石となった。これで災いがなくなったと姫はいたく喜んで庵に誘ってもてなした。八束水臣津野命は庵に宿をとったが、夜が明けて見たところ、その姫は忽然と岩に変わっていた。命はこれは不思議な岩を見たことだといぶかしく思った。当社碑文ではこの伝説を否定している。しかし、当社の神紋は亀甲に三石の紋。龍石・角石、姫が変わったという岩、で、ちょうど三つの石(岩)ではある。『旧島根県史』では、「石神は結局一代の御霊代に過ぎず」とし、この伝承も、当社御祭神も一貫性があるとしている。とあります。