寛永7年の青銅鳥居、威風堂々
春日神社 青銅鳥居の特徴
寛永7年1667年に建てられた威風堂々とした鳥居です。
東海道沿いに位置し、春日大社へのアクセスも便利です。
鳥居の触り心地が陶器のようで独特な魅力を放っています。
八間通り沿い、まちやど桑名宿三桝屋さん南に建立されていて、鳥居、鳥居廻り等綺麗に維持・管理されています。鳥居の材質は檜(ひのき)や杉などを用いた木造、石造、コンクリ-ト造ですが、此処の鳥居は銅造となっています。説明板がありましたので引用しご紹介します。【春日神社の銅鳥居】三重県指定有形文化財 昭和四十年十二月九日指定この鳥居は、寛文七年(一六六七)に七代桑名藩主松平定重によって建てられました。この鳥居の前には、初代藩主本多忠勝が寄進した鳥居(木造)がありましたが、承応二年(一六五三)に大風で倒壊したと言われています。治工:辻内善右衛門種次(鋳物師)寸法:高さ六m九〇cm・笠木長さ八m一〇cm・柱回り五七.五cm銘文:(表)華表蘶蘶 惟直惟圜 神威可畏 保定萬年(裏)寛文第七祀秋八月穀旦【しるべいし】「しるべいし」は「迷す児石」とも言われ、碑との大勢集まる所に立てられました。同じものが多度大社の鳥居の横にもあります。自分の子どもが迷子になると、左側面「たづるのかた」にこどもの特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子どもが居た場所などを書いて貼ります。平成二十三年三月 桑名市教育委員会と、なっています。
寛永7年1667年に建てられた鳥居です。かなりの年季を感じます。
威風堂々と言う言葉が似合う鳥居です。
変わってた鳥居青銅とあるが触った感じは陶器っぽかった。
通りすがりに寄っただけ。
1667年(寛文7年)に7代目桑名藩主松平定重によって建てられました。天災により何回かの倒壊再建を余儀なくされ、現在の鳥居は昭和中期に修復されたものです。元々、初代桑名城主となった本多忠勝が建立した木製の鳥居のあった場所ですが、後に台風で倒壊しています。
東海道沿いの春日大社にある鳥居。ここが、鋳物の生産地であるということも教えてくれます。
桑名神社・中臣神社(通称、春日神社)の青銅製の鳥居。東海道に面した位置に建てられ、完成当時は金色で、桑名宿のシンボルだったそうです。慶長7年(1602)に、本多忠勝の寄進により木造の鳥居が作られた後、寛文7年(1667)に青銅の鳥居が完成。その後も、戦災、伊勢湾台風などにより、何度も倒壊と再建を繰り返し、今の鳥居は、伊勢湾台風直後の昭和35年に修復されたものだそうです。鳥居の脇には、迷子になった子どもの掲示板として使われた「しるべ石」が残っています。
寛文7年(1677)に鋳物師の辻内氏によって建てられたもので、災害で度々崩れたようですが、その度辻内家によって補修再建されてきたものです。三重県の指定文化財です。北側の柱に伊勢湾台風時の傷跡が刻まれ、表示されています。
| 名前 |
春日神社 青銅鳥居 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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全国でも稀な青銅の鳥居寛文7年(1667) 完成。様式台輪鳥居、青銅造り、沓石ハ稜、両柱間隔4m70cm。藩主・松平定重の命により鋳物師・辻内種次が製作した、触れることができる文化遺産です。「島木及び貫に花輪違いの模様重ね、貫には上り藤紋10(表裏) 両柱の上部に上り藤紋 4(表裏)を陽鋳。銘文は左右柱の表に「華表性直性園 神威可畏 保定年」 裏に「寛文第七祀八月穀旦」。銘の作者は幽巌(儒著味岡喜太夫)、筆者は伯宝(常信寺4代住職)、治工辻内善右衛門種 次である。