寺町通で出会う、阿弥陀寺の向かいの魅力。
阿弥陀寺前町地蔵尊の特徴
阿弥陀寺の向かいに位置し、アクセス良好です。
寺町通沿いにあるため、観光ついでに立ち寄りやすいです。
2025年の夏、素晴らしい写真撮影に最適なスポットです。
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寺町通沿い、阿弥陀寺の向かいにあります。
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| 名前 |
阿弥陀寺前町地蔵尊 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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写真の撮影日は、2025.08.02(土)。この日、わたしはこのお地蔵様の通りを挟んだ向かい側にある蓮台山阿弥陀寺の織田信長公・織田信忠公及び本能寺の変(天正事変とも言う、天正10.06.02発生)で命を落とした物故者の合葬墓等にお参りしたのだが、お参りを終えて鶴山児童公園のベンチで休憩してトイレ(公園内の京都市または上京区設置の公衆トイレ)をお借りして、“今日は暑いから(そのときおおよそ36.8℃くらい)そのまま京都市バス37番で三条京阪まで戻ろう”と思っていた。ところがいつも持ち歩いているエコバッグの中を見ると財布がない。“顔面蒼白”な気分で考えを巡らすが、蓮台山阿弥陀寺の庫裏(本坊)で参詣料を払った以外財布を出した記憶がない。そこで踵を返して阿弥陀寺の本坊に向かうと本坊の拝観料等を払うときの受付台のすぐ下に財布が元のまま置いてあった。そのとき寺務所の受付のかたにお礼を述べて其処を出て、もう一度信忠公に声を掛けたい気持ちだったが、もう一度参るにはもう一度500円を支払うのが宜しいだろうし、例えばお水のペットボトルや小さなお酒のパック(後々廃棄処分するのが楽だから)を用意して改めてお参りするのが良いだろう、と思い“後ろ髪引かれる思い”でお寺の外に出ると向かい側の歩道がちょうど日蔭だった。日蔭を選んで歩こうと思うほどの猛暑だったが、阿弥陀寺の前、道を渡ったところにこのお地蔵様は祀られている。地元の方々の管理が行き届き塵一つ落ちていない美しさである。あぁ、お地蔵様というのは本当に迷える衆生を救うのだな、としみじみ思って礼拝した。そして日蔭を歩き改めて鶴山児童公園で穏やかな心持ちで休憩した。そのとき仰ぎ見た木(小さな蝉が幾匹かとまり小さな鳴き声がした)の葉の揺らぎや、遠くに見えた大文字山?(多分。山は殆ど詳しくない)の風景を殊に感慨深く眺めた。最後に、何故信忠公にひと声掛けたかったというと、信長公には正室のほかにも側室などかあって子どもはたくさんいた。嫡男信忠公と三男信孝公は共に享年26及び28だが信孝公には妻がいて姫君がいた。(のちに信孝公の母といわれる坂氏の女~神職の家の出といわれる~は信孝公の姫君と共に、つまり信孝公の母と娘は信孝公が豊臣秀吉に反抗した罪の連座で磔にされ絶命した)ところが信忠公の場合は父君信長公の考えで甲斐武田家の娘と婚約はしていたが伴侶となる前に本能寺の変で亡くなってしまい、母生駒の方とも幼少期に離ればなれになり(養母は信長公正室、斎藤道三の娘、帰蝶)寂しいまま彼岸に赴いた。とうに元服して父君の右腕として武功を上げたとはいえ、やはり独りの道行きは寂しかったのではないか、と感じる。織田信忠公…弘治3~天正10.06.02(西暦1557~1582.06.21)享年26、戒名①大雲院三品羽林仙厳(本当の漢字は厳の上に山)大禅定門②景徳院(天正10.09.11, 柴田勝家公・お市の方が京都市右京区・妙心寺で100ケ日法要を執り行ったときの戒名)③光勝院殿贈三品羽林郎悦厳(上に山)大禅定門(こちらはあまり調べていない)…合掌。