石碑が語る天神山城の謎。
天神山城跡の特徴
神社の右奥にある道が、笹薮に阻まれました。
40年前は保育園の遊び場として親しまれていました。
天神様を祀っている歴史深い場所です。
2025/7/6 修正2025/5/29北野神社拝殿右横の小道を登る。ある程度行くと深い竹/笹藪が行く手を塞ぐ。覚悟を決めて藪を掻き分け入る。この季節、虫/蚊/蜘蛛の巣は少ない。数mほどもがいて行くと道の跡が現れる。倒木の多い不安定な道を奥に進むと、石碑が見え始める。その先に行くとさらに石碑が有る。多くは台石も無く霊場番号がわからない。幸いにも各碑には霊場固有の”御詠歌”が有り、それでわかる。これにより天神山に”四国八十八ヶ所霊場”を再現したと見る。石碑の番号を見ると52番以降で、確認出来たのは10基程度。配置も番号どおりではない。残り78基は崩れて谷に落ちたか一番は何処か等々、興味が湧く。当時の消防組の組織がわかる碑が1基有る。石碑の建立は大正期と見る。不思議なことに、主に東京の”弘法信仰の講”が建てた石塔類は鎌倉で多く見るが、その記録資料は無い。これほどの規模の霊場を造り以後廃れたのは、一時的な流行だったのか?石碑が目に入った順に記す。①弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「高野山奥之院 歌 京◯◯元講・(台石)東京 京◯◯元講 (講中名) 」ー88ヶ所霊場では無く、高野山奥之院の碑。②弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌・(台石)第八十二番」*82番③弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌 第八十壱番~本所區相生町 服部八右衛門」*81番④弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌 第八十番 東京京極 濱地家」*80番⑤弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌 第七十九番~東京神田元(岩)井町 磯辺(清也)」*79番⑥奉納石碑 (板状自然石/文字)「東京消防第三區五番組 組頭~組頭副(2名) 小頭 小頭副(2名) 筒先(10名)~纏(2名) 筧(4名) 刺股(2名) 他」⑦弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌 弘法院上人 ◯谷區◯◯(中田)」*75番(詠歌で判断)⑧弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌 開運大師 京極區南八町堀 中井多嘉◯)*52番(詠歌で判断)⑨弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌 第七十貮番 東京 新橋◯講」*72番⑩弘法大師碑 (板状自然石/線彫)ー横位置「歌 東京市深川區御船蔵前 中村八重子」*61番(詠歌で判断)⑪弘法大師碑 (板状自然石/線彫)「歌 第七十三番 横須賀 堀田良吉」*73番⑫弘法大師碑 (板状自然石/線彫)ーピンボケ「歌」ー他確認できず。*71番(詠歌で判断)この先尾根道を進んだが、石碑は見えない。
1.事前に入り口を調べてから来ないと、簡単に20分を失いますよ2.鎌倉幕府(北条氏)崩壊以降に書物に名の出る「天神山城」はここではないとされています。扇ヶ谷・寿福寺ですので、鎌倉駅や鶴岡八幡宮まで行かねばなりません。最後の執権・赤橋守時ファンの私としては、ここに隣接する地区の古戦場まで歩きつつ、思いを馳せてしまいます。
山頂は藪に覆われていた。2025/5/18
神社の右奥かに道がありますが、途中で笹薮に阻まれ先に進めませんでした。多分、何もないと思われます。
40年前、保育園の遊び場として行ってました。今考えると神社なのに何故、保育園で遊ぶ場所としていたのかが謎です(笑)不思議なこともありました。園児だった私が皆と崖で遊んでる時、屋根を見たらお爺さんみたいな顔があって、優しく笑いながら園児を見てる人がいたのを今でも覚えてます。多分、神様何じゃないかと今でも思ってます。階段上がる途中に道がない所には防空壕もあります。今もあるかは分かりませんが小さい時よく友達と探検してました。懐かしい。
非常に興味深い場所だった。歴史的な意味合いは別として、好奇心を満たしてくれた事で高評価を付けさせて頂だく。まず「天神山城」の存在は資料が乏しく、詳しい事は何一つわからない。「玉縄城」の支城とする話が優勢だが、鎌倉時代〜室町時代には砦として存在したとの意見も目にした。ネットの情報では、ほぼ出典が明確にされておらず、さらに転載を重ねられている上に、個人の想像が正解の様に書かれていて参考にするには注意が必要。一方「鎌倉市教育委員会」からは「天神山城の調査」と題された発掘調査報告書が出されているので「城」としては認識されている様だ。ただし、この発掘は天神山裾の古墳〜中世にかけての住居跡の調査である。北野神社の参道階段脇は左右に平場が無数にあり山全体が雛壇状になっている。いつの時代の物か判らないのがもどかしいが、その造作を目にするだけで好奇心が掻き立てられる。拝殿、本殿の脇から裏に道が続いており、遺構を求めて突き進んでみると、レビューで拝見した倒れた石碑に辿り着く。確かに「弘法大師」が彫られ「高野山奥之院」の文字も見てとれる。そのまま奥に突き進むが…道が…無いに等しい。かなり藪漕ぎ状態だったが、少し開けたと思ったら前述の石碑同様の物が多数、目に入っただけでも十数基、しかも大部分が倒れている。流石に禁断の地に踏み込んだのかと、背筋がゾッとした。石碑を調べると、やはり「弘法大師」が彫られ、この周辺の碑には八十番台の番号が振られている。なるほど、四国八十八ヶ所巡りが行われていた跡かと推察した。もう、完全に道は無いが崖下を覗くと眼下にも石碑が目に入る。好奇心に負けて崖を降りるよね。落ちるとも表現するかもしれないが笑やっとの思いで辿り着き石碑を調べると、やはり番号が彫られ、先のものより若い番号。ミニ霊場は間違い無い様だ。そこからは藪漕ぎと崖落ちの繰り返しで五十番台までは確認したが、そこまでだった。下から見上げて見ると微かに九十九折の様に感じられる。麓から順番に登って行き、最初に見掛けた「高野山奥之院」が結願所だったのだろう。こうしたミニ霊場は江戸時代に流行し、都内にはまだ存在すると聞く。鎌倉の天園ハイキングコースの一部にも「大師道」としてかつてはミニ霊場が存在した。もう、城跡どころの話では無くなってしまったが、この山全体が雛壇状の平場で囲まれており、造作が施された時代さえ判れば非常に興味深い遺構と考えられる。ただし、石碑探索はお勧めしない。本当に崖なので、危険過ぎます。
天神様を祀っている。今は神社だが以前は寺のお堂か。かなり古い法篋印塔が建っている。裏手から山道を藪をかき分けて行く途中、弘法大師空海をレリーフした石碑が無惨にも倒されたままになっているが、なんとかしてあげたい。近くの幼稚園や保育園の児童のお散歩コース。
| 名前 |
天神山城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
神社右の小道を通り笹薮に入っていくと、幾つもの石碑がある。そこを抜けて斜面を降りていくと畑に突き当たるが、私有地だろうし、斜面は少し危険なので降りない方が良い。城の遺跡は特に無さそう。