五品嶽城の冒険、歴史を感じる♪
五品嶽城跡の特徴
東側国道沿いの世直神社からすぐにアクセスできる遊歩道です。
五品嶽城の歴史を感じる土塁や特大大堀切などの遺構が充実しています。
散策中には、北側の畝状竪堀群や段郭も楽しめるアドベンチャースポットです。
五品嶽城(広島県庄原市東城町)宮氏は比田山城を本拠としていたが6代景友の時、五品嶽城を築いた。天文2年(1533)大富山城を築いて本拠を移した。以後、大富山城を西城、五品嶽城を東城と呼んだ。天正18年(1590)宮氏が毛利配下となったが11代広尚は伯耆国日野城主に輝元より国替えされた。変わり佐波越後守広忠が唐樋城から入城した。関ケ原の戦いで毛利後の福島正則家老の長尾隼人正一勝が入城。福島氏が改易されると廃城。山頂に本丸を設け北尾根上に太鼓の平、ケヤキが平、カヤの平などの曲輪群を設け東側中腹に物見が平の曲輪群がある。2021年訪城。記憶が薄れてますが城の東側314号線沿いの庄原市東城まちなが無料駐車場に止めて北側の世直神社から入城途中城標識案内あり整備されてました。
東側の国道沿いに駐車場🅿️があった世直神社から登ると「五品嶽城散策マップ」があってわかりやすい遊歩道沿いの曲輪には縄張図付き説明板🪧も立ってた遺構は土塁付きの曲輪に井戸跡、主郭の石垣、そして背後に 特大 大堀切からの連続堀切♬さらに説明板には載ってない主郭北側の畝状竪堀群♬さらにたくさんの段郭♪の下部曲輪にも畝状竪堀群♬見るのにはナカナカのアドベンチャーだったけど🤭23`5月の早朝は既に緑深い森🏞️の散歩になった🚶♂️テクテク
東城小学校創立百年記念誌に、この城跡について次のような説明が見られます。大和国宇多郡を領有していた宮利吉が山名氏清の謀反に加担したことが発覚し、室町幕府は宮利吉の領地を没収したため、応永六年(1399)に宮利吉は三十余人の家臣と共に東城町久代に移り、その後比田山城を築きました。(久代宮氏の始まり)久代宮氏はその後勢力を広げ、宮利吉から五代目の宮景友のときに現在の東城町川西に五本竹(五品嶽)城を築き、その次の宮高盛の時に現在の西城町に大富山城を築いて本拠としたことから、以後「東城」・「西城」という名称が使われるようになりました。久代宮氏は戦国時代には毛利氏に属し、天文二年(1533)に尼子方の軍勢が備後国へ侵入してきたのを備中神代(岡山県新見市旧神郷町)の合戦で敗退させており、天文五年(1536)秋には尼子経久の軍勢が大富田城を攻めてきたものを、優勢の内に和睦し撤退させました。
| 名前 |
五品嶽城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/education/shogaigakushu/cat02/02/post_893.html |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2026年7月20日世直神社裏手より登山道は倒木等あり足元も一部不安な箇所あり下山後、看板が設置さており登山を控える様との内容でした。登らなければよかった。それはそうと感想は勿体無いでした。木が成長して石垣等が崩れたりするのは仕方ないとしてもあの山道がいつからあの状態だったのか、おそらくあの土の下には当時の石段や石垣が在るのだろうがそれはもう確認する事は難しいそうです。山頂の土台付近には人工的に積まれたり並べられた石を確認する事は可能ですがそれもいつまで見れるかは想像するに難くない。それでも登るなら大型の動物の痕跡が見られるので朝夕は避けて日中かつ必要装備をしたほうがよさそうです。