熊野川を見下ろす壮大な丹鶴城!
新宮城跡の特徴
熊野川を見下ろす高台に築かれた石垣の立派な城郭跡です。
夕暮れ時には、城壁越しに広がる美しい熊野川の眺望が魅力です。
続100名城に選ばれた新宮城は、丹鶴姫ゆかりの場所として歴史的価値があります。
続100名城スタンプ貰いに。スタンプは車で5分ぐらい離れた阿須賀神社の敷地内にある歴史民俗資料館にあります。入館料220円。新宮城跡は公園駐車場に10台ぐらい停められます。この日もそこそこ人も多かった。城の北側には熊野川があり熊野大橋と川がキレイに眺望できます。【20250719】
続100名城に選ばれるだけあってかなり立派な石垣が残っている。もう少し案内板とか増やしてくれたほうが色々分かりやすくていいと思う。車は公園の駐車場に無料で停められる。本丸跡地では地元の高校生カップル?がベンチに座ってデートしてました。
お城が好きなので行ってみました。眺めも素晴らしいです。
宿泊先近くのため、徒歩で土曜夕方に訪問でしたが誰もいません。独り占めでした!城門の先に持ち出しのマップが設置されており、解説を元に石垣の遺構などをたのしめます。入口の城門から見たら本丸まで高そうでしたが、実際に登るとさほど時間はかかりません。本丸から熊野灘や市内が一望できます。
新宮駅近くを通る道から左側への坂道を上がると数台おける駐車場があります。そこから上に続く階段があります。城跡からは熊野川やそれらにかかるバイパスを含めた国道やJRの橋がきれいに見えます。続100名城に選ばれた広い城跡です。また、駐車場のすぐ下をJRが通っており、私が車を止めたときに丁度、普通列車が走ってきました。
続100名城No.167 25.07訪問(歴史)新宮城(別名・丹鶴城)は和歌山県新宮市、熊野川沿いの丹鶴山に築かれた平山城です。古くは熊野別当の別邸が置かれ、源為義の娘・丹鶴姫の伝説が城名の由来だそうです。戦国期には堀内氏がこの地を治めましたが、関ヶ原の戦いで西軍についたため滅亡。その後、浅野忠吉が1602年に新宮城を築城し、一国一城令で一度は廃城となるも、紀州藩の防衛拠点として1618年に再築されました。1619年以降は徳川頼宣の付家老・水野氏が城主となり、以後幕末まで治めました。(感想)当日は車で訪問し、すぐそばの無料駐車場を利用できて便利でした。城内には広範囲に石垣が残り、野面積み、打込み接ぎ、切込み接ぎなど様々な石積み技術を観察でき、石垣好きにはたまらないスポットです。特に印象的だったのは水ノ手曲輪で、熊野川から直接船をつけられる構造が整備されており、炭の倉庫跡や船着場の遺構から往時の姿が想像できます。草もきれいに刈られていて、見学しやすかったです。また、本丸と橋で繋がっていたとされる独立した出丸跡も残っており、防御の工夫が随所に見られます。なお、「続日本100名城」のスタンプは、新宮城から車で5分ほどの阿須賀神社に設置されています。
清流熊野川の河口近くの小高い丘にある城趾。紀州藩家老水野氏の居城であり築城前に源頼朝の叔母にあたる丹鶴姫が住んでいたことから別名丹鶴城とも呼ばれています。数少ない遺構である石垣はなかなか見事な物です(☆▽☆)眼下に見える熊野川の絶景が素晴らしい✧◝(⁰▿⁰)◜✧少し上流に熊野速玉大社下流に阿須賀神社と二つの世界遺産があるのでセットで訪問がお勧めです。観光客はちらほらいる程度で落ち着いた雰囲気。
熊野川を見下ろす高台にある大変規模が大きく立派な石垣を持つ城郭跡です。城が建っていたことを想像するとさぞ素晴らしかっただろうと思いました。道沿いの2か所の入り口には城の説明板があったようですが、本丸を含めて二の丸、三ノ丸に説明板が無いのは意図的なんでしょうか?手入れも行き届いており、素晴らしいのですか、パンフレット以外にも現場の説明があったほうが良いと思いました。訪れたのは1月ですが桜の時期にはもっと魅力的な姿を見せてくれると思います。期待した新熊野大橋はここからは木の間から少ししか見れませんでした。
2024年12月中旬の平日、続100名城スタンプで訪問。意外と大きく立派な城趾でした。
| 名前 |
新宮城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0735-22-2840 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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新宮城跡(別名:丹鶴城)は、紀伊半島南東岸の熊野川河口を見下ろす丘陵に位置し、その壮大な歴史と遺構から高い評価を得ています。国の史跡に指定されており、訪れる人々に深い歴史のロマンを感じさせてくれます。新宮城の歴史は古く、元々は源為義の娘である丹鶴姫の住居であったと伝えられており、「丹鶴城」という別名の由来となっています。築城と変遷:関ヶ原の戦い後、浅野忠吉によって築城が開始されました。一時、江戸幕府の一国一城令により廃城となりますが、1618年(元和4年)に再築城されます。1619年(元和5年)、紀州藩初代藩主の徳川頼宣が入国した際、付家老として水野重仲が新宮城主となり、以降、水野氏が10代にわたってこの地を統治しました。築城工事は2代目の水野重良によって完成されました。水野家の統治と繁栄:新宮水野家は表高3万5000石でしたが、熊野の豊富な木材や備長炭、和紙などの特産品の生産・流通を支配し、その実質的な経済力は10万石以上であったと言われています。9代目城主の水野忠央は幕末の開明的な国学者・政治家であり、洋式軍隊の編成や洋式船「丹鶴丸」の製造、北海道開拓など様々な先進的な試みを行い、新宮に江戸風の文化も伝えました。明治の廃城令により建物はすべて取り壊されましたが、現在も立派な石垣が当時の姿を偲ばせています。本丸跡周辺は丹鶴城公園として整備され、訪れる人々は以下の点を楽しむことができます。壮大な石垣: 山麓の西側大手(正面入り口)から本丸へ続く石垣や石階段など、当時の堅牢な築城技術を間近で見学できます。絶景の眺望: 城跡は熊野川の河口に位置する小高い山に築かれているため、本丸跡からは熊野川や太平洋の壮大な景色を一望できます。この眺めは「和歌山県朝日夕陽百選」にも選ばれています。歴史的遺構: 本丸、鐘ノ丸、松ノ丸などの曲輪の跡が確認でき、往時の城郭の構造を感じ取ることができます。また、「新宮城跡附水野家墓所」として国史跡に指定されているなど、その歴史的意義は広く認められています。アクセスと周辺情報: 駐車場が無料で利用でき、隣接する阿須賀神社(世界遺産)での御城印の購入や、新宮市立歴史民俗資料館での城スタンプの押印など、城巡りの楽しみも充実しています。新宮城跡は、熊野の自然景観と融合した歴史ある城跡であり、歴史ファンならずとも一見の価値があります。