被爆を乗り越えた強いクスノキ。
山王神社の大クスの特徴
山王神社の大クスは被爆樹で、驚くほどの生命力を誇ります。
参道の石造の鳥居が戦争の爪痕を伝え、歴史を感じます。
隣接する保育園からの妓喜が、訪れる心を癒してくれます。
長崎原爆資料館を見学後に徒歩(15分弱)で訪問しました参道入口の階段を登ると参道を挟む形で2本の大クスが鎮座していますダメージを補修するための処置がかなり広く施されていますが青々と葉を繁らせた姿は強い生命力を感じます樹に触れることもできますので優しく触れて何かを感じる事ができるのではないでしょうか保全のため少しでも役に立てればと「たぬきてぬぐい」を戴きました。
山王神社の楠木。樹齢5〜600年の大楠は原爆の爆風に晒され焼かれながらも2ヶ月後には新たな葉を生やし人々を元気付けました。現在は沢山の葉を茂らせています。平成になり中の空洞を調べた際に被爆当時に入り込んだとされる石が発見され原爆の威力を物語っています。大楠の保全のため募金箱が設置されていて他にもタヌキ手ぬぐいを購入すると全額大楠保全の募金になります。
山王神社の大楠(被爆クスノキ)原爆被災の貴重な遺構として、長崎市指定天然記念物に指定されています。山王神社の境内入口にそびえる2本のクスノキは、樹齢約5~600年、胸高幹囲がそれぞれ8メートルと6メートルで、長崎市内にあるクスノキの巨樹の一つです。共に昭和20年の原爆で主幹の3分の1以上を失ったため、 樹高は10メートル内外ですが、四方に張った枝は交錯して一体となり、東西40メートル、南北25メートルの大樹冠を形成しています。原爆被災により一時落葉し枯れ木同然になったにも係わらず、2年程度の後、奇跡的に再び新芽を芽吹き、次第に樹勢を盛り返し今日に至っています。
タビフクヤマを見て行ってみたくなり参拝致しました。長崎人でありながらまだ知らない長崎がたくさんある事を教えてもらいました。言葉でなかなか表現できない空間に入ったような感覚でした。ぼーと眺めてる間に10月なのに蚊に刺されてしまったワタシ。
被爆クスノキ。爆風で大きく開いた幹の穴には、飛んできた瓦礫が入っていて、当時のまま保存されている。枯死寸前だった大クスが、この地に根を張り続け、樹勢を盛り返した事に、悲惨さと尊さを感じました。
一本柱の鳥居を見た後にうかがいました。山王神社の入口に2本葉を繁らせて立っています。昭和20年8月9日原爆が投下され、この楠も駄目になったかと思われていたそうですが、その後、新芽が出てきたそうです。そして、枯れることなく、現在の姿を見せてくれています。その生命力に圧倒されます。向かって右側の幹には空洞があり、そこまで階段で上って中を見ることが出来ます。小石などが沢山ありました。木の根元には取り出された大きな石があります。どれほど凄まじい爆風だったのか。見学をしていると、ご近所にお住まいという高齢の女性に声を掛けられました。そして戦後の長崎のことを少しうかがうことができました。本当に本当に平和は尊い。当たり前と思わず、守っていかなかればならないと思いました。初対面の方でしたが、その後一緒に山王神社にお参りさせていただきました。また必ず来たいと思います。皆さんも長崎に来たら足を運んで下さい。
2023.9思いつきの長崎旅行で、たまたま近くにあったので行きましたが、、、すいません!調べてから行くレベルの所でした。命(生物)の力強さと逞しさ、原爆投下からの復興、色々な思いを感じさせてくれる場所でした。幹の中に石が入っていることや、治療の跡も思いを募らされました!生きてる事にもっと感謝しないといけないですね!
クスノキは全国各地の社寺にて御神木として崇められ樹齢が長い事でも知られますが山王神社の2本の大クスは被爆樹として存在します 参道の石造の鳥居が断裂破壊される程の爆風及び熱風を浴びながらも戦後77年現在も隆盛を誇る生命力には驚かされますね 隣接する保育園からは園児達の無邪気な歓声が聞こえて心が癒されます 77年前の夏の日も同じような光景があちらこちらであったのでしょうが一瞬で無の世界へ… いたたまれない気持ちになりました 長崎市の天然記念物に指定されているようです。
写真で見るより実際に見て触れて感じてください。
| 名前 |
山王神社の大クス |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.nagasaki.lg.jp/shimin/190001/192001/p000564.html |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
|
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原爆の爆風で幹が裂けてしまうも、現在もなお生き続けていいるクスノキ。福山雅治がその生命力を讃え「クスノキ」という曲を書いている。福山雅治自身が長崎に生まれ、何かを伝えなければならないと感じてはいた。17歳の時に父親を癌で亡くし、親を亡くした喪失感や自分の無力感を感じ、父親の入院先の病院からほど近いこの神社に良く通うようになったんだそうな。そこからミュージシャンとして24年かかってようやくこの曲を書き上げた。まさにその流れはクスノキの成長の如く時間はかかったが、戦後80年の今年、まるでクスノキにやどる神が福山雅治という人間の体を介し人々に語りかけているような気がしてなりませんでした。鳥居も半分崩れその破片が近くに展示されていました。まるで神様が身を呈して人々を守り、復興を支えてくれたかのような気がして涙が止まりませんでした。