箕作阮甫旧宅で和を感じる。
箕作阮甫旧宅の特徴
幕末の蘭学者・箕作阮甫の生家として貴重な歴史があります。
手入れの行き届いた日本庭園でリラックスできる空間です。
津山洋学資料館隣で、見学は無料で楽しめます。
津山藩士、蘭学(洋学)者、箕作阮甫(みつくり げんぽ、1799-1863)が14歳頃まで住んでいた旧宅です。創設されたばかりの現・東京大学の教授になったため、日本最初の大学教授と呼ばれているらしいです。隣に建つ洋学資料館で業績を学ぶことができます。
岡山県の中央に位置する岡山第三の都市、津山にあるお城の東側の通りが旧出雲街道にあたり、街並みが趣あります。
よく町の駅前って銅像がありがちですけど、誰?ってくらいのもので、大体は気にも留めないのですが、津山の駅前で鎮座しているのが、実はこの人、箕作阮甫(みつくり げんぽ)。この人の偉大さは、日本の最高学府東京大学のルーツを辿るとか、組織としての日本の近代学術の沿革を辿れば、この人箕作阮甫に行き着くといった感じになるのでしょうか。あと競馬に例えてみるなら日本学術界のサンデーサイレンスみたいな人。阮甫を祖とする箕作家は学者一族。GⅠホース級の学者が列挙する箕作家の家系図の凄まじさにはもう笑ってしまうしかない。正しく日本学術界の種馬。地元のまちづくり協議会が知名度向上の為に作成した箕作阮甫Tシャツがあるそうですが、これ結構欲しいかも。慶応の福沢諭吉や早稲田の大隈重信みたいに、東大の箕作阮甫ってのが常識になっていないのは、隣の洋学資料館の展示内容を丹念に辿れば、歴史解ってねーよ!と歯がゆくなる津山の人の気持ちも良く解ります。隣の津山洋学資料館も併せて訪れることをレコメンドしたいですね。
津山洋学資料館の隣で、資料館に駐車場があります。箕作阮甫旧宅は入場料無料でした。箕作家の系譜もあり、ゆっくり見学するのもいいかと思います。
地区のばぁちゃんじぃちゃんが交代で駐在。昔の町屋を修復していて釜戸や井戸お便所生活様子が見られて裏庭の軒下に津山城の瓦もあり。
「箕作阮甫旧宅」(みつくりげんぽ)を見てきた。箕作阮甫旧宅は城東むかし町家にあり、建物は典型的な町家造り。敷地は90坪で規模は小さいが立派な造り。「箕作阮甫」さんを知らなかったので調べると以下の通り。「箕作阮甫」は津山藩医で洋学者で、1853年のペリー来航時にアメリカ大統領の親書の翻訳を命ぜられたほか、同じ時期にロシアのプチャーチンがやって来た時は、交渉団の一員として長崎に派遣されるなど、日本の開国に際して大いに才能を発揮した学者だそうだ。開国後、本格的な洋学の研究・教育機関の必要性を認識した幕府は、1856年に蕃書調所を設立し、阮甫をその首席教授に任命、この蕃書調所が後に東京大学へと発展となったそうだ。「日本最初の大学教授」と言われている。箕作阮甫旧宅は、箕作阮甫が生誕から13歳までの少年期を過ごした家。阮甫は寛政11年(1799)、藩医貞固の子として生まれ、早く父と兄を失ったため家を継ぐことになり、幼年期から学問に励んだ。文政5年(1822)に藩医に登用され、津山と江戸との間を往来するようになったが、このころ宇田川玄真について蘭学を学び、蘭学者としての途をたどり始めた。天保2年(1831)、家族とともに江戸表へ出て以後、蕃書調所教授等の職をあずかり、幕臣に挙げられ「和蘭文典」等、医学、兵学、西洋地理・歴史などに関する多くの著訳書を残し、幕末蘭学の発展に寄与した。
2021/2/23来訪。無料で見学出来ます。いろいろな展示物がるので真面目に見ていたら結構時間がかかるかもしれません。
津山市城東の旧出雲街道沿いの町並み保存地区にある幕末の蘭学者であった箕作阮甫の生家、奥の蔵が資料館になっており入館無料。
建物の手入れが行き届いていました。近くを散策するついでに立ち寄るのをオススメします。
| 名前 |
箕作阮甫旧宅 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0868-31-1346 |
| 営業時間 |
[金土日火水木] 9:30~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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箕作阮甫という人は蘭学・洋学においてかなり重要な位置付けの人で、日本最初の大学教授とも言われているらしい。その人の旧宅が保存されていて、無料で見ることができる。津山城の東のエリア、城東地区重伝建を抜けた先にある。展示を見る限り、かなり業績があり、歴史上重要な位置付けにあっても良い人のように思ったが、高校レベルくらいまでの日本史の教科書で名前を見るような印象がない。家系も錚々たる人が並ぶ学者の一族っぽいので、支持する人も多そうな気がするのだが。