碑のそばで静かに想う、広島の本当の歴史。
広島原子爆弾 爆心地説明の碑の特徴
原爆ドームのすぐ近くにあり、静かな路地に位置する碑です。
ここは、兵士や市民を含む多くの人々の悲劇を刻んだ場所として重要です。
原子爆弾《リトルボーイ》の投下地点として広島の歴史を象徴するスポットです。
テニアン園から飛来した米軍機B-29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約600メートルでさく裂しました。爆心直下となったこの一帶は、約3,000度~4,000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。時に1945(昭和20)年8月6日午前8時15分のことでした。(現地点から見た北方の慘狀 1945年11月 米軍撮影)
原爆ドームが爆心地と思っている人も多いですが、本当の爆心地はここです。まさにここが、原爆が爆発した130mの直下です。人類の歴史を永遠に変えてしまった、その場所です。簡単な解説の碑が立っている、目立たない場所ですが、こここそ、訪れる場所です。
広島原子爆弾爆心地説明の碑、訪れて本当に心を動かされました。原爆ドームから徒歩数分の静かな路地にあり、1945年8月6日8:15に「リトルボーイ」がこの真上で爆発したことを示すシンプルな石碑が、歴史の重みを静かに伝えています。碑の説明は英語と日本語で書かれていて、誰でもその意義を理解できます。周辺は現代のごく一般的な広島の繁華街でしかなく、こんな普通の場所が爆心地だったという事実に深い感慨を覚えました。外国人観光客も含めて訪れる人は多く、平和への祈りが感じられる場所です。原爆ドームや平和記念公園と合わせて訪れると、広島の歴史をより深く学べます。碑自体は小さいけれど、その存在感とメッセージは強烈。広島観光の際は、ぜひ立ち寄って過去を振り返り、平和の大切さを考えるべきスポットです。
あまり目立たないので通り過ぎてしまうかも…でも大切にしていきたい場所ですね。
原爆ドームの東側、130m程離れた所にある此処。ここの上空600mの位置で原爆が炸裂。写真展で当時の現地の写真を見る機会があった。入院、通院、病院関係者宛てに書かれた木札。「生死消息を御記入下さい」「住所姓名を御記入下さい」「住所西署内 島薫」と書かれているのがなんとか読み取れます。広島西警察署は当時は現在の平和記念公園付近にあったとのこと。当時院長だった島さんが出張から戻ったのは原爆投下翌日の午後だったそうです。此処に伺った日は、外国人観光客のグループがモニュメントを見に来ていた。何とも言えない複雑な気持ちになったのは、自分が日本人だからなのか。2025/07/21
爆心地は広島原爆ドームだと思ってる人が多いと思うが、本当の爆心地は原爆ドームではなくここ島内科医院(旧島病院)である。今から80年前の1945年(昭和20年)8月6日8時15分にこの島病院の上空約600mでウラン型原爆"リトルボーイ"は炸裂した。当日は医者である島薫と付き添い看護婦は出張診療に出掛けていたため、難を逃れたとの事。病院は玄関の柱のみを残して全壊してしまった。病院は今でも島薫の孫に当たる方が院長を努めておられ島内科医院の名前で運営されてる様です。Many people think that the hypocenter is the Hiroshima Atomic Bomb Dome, but the real hypocenter is not the A-Bomb Dome, but the Shima Hospital (former Shima Hospital).Eighty years ago, at 8:15 a.m. on August 6, 1945 (Showa 20), the uranium atomic bomb "Little Boy" exploded about 600 meters above Shima Hospital.Kaoru Shima, a doctor, and his nurse escort were on a business trip on the day of the bombing, so they escaped the blast.The hospital was completely destroyed, leaving only the pillars of the entrance.The hospital is still being operated under the name of "Shima Naika Iin" by the grandson of Kaoru Shima, who is also the director of the hospital.
原爆ドームから南東方向に100mほど離れた場所にあります。内科医院の前に小さな石碑と説明書きがあるだけなので、見落とさないように地図を良く確認して行きましょう。この看板の前に立つと、思わず上空を見上げてしまいます。説明書きには、原爆投下後の周辺の惨状のモノクロ写真と以下のようなことが書かれています。↓テニアン島から飛来した米軍機B-29 「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約600メートルで炸裂しました。爆心直下となったこの一帯は、約3,000度~4,000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。時に1945年8月6日午前8時15分のことでした。
上空を見上げてしまいました。2023.5訪問原爆ドームからほど近い場所の道路わきに説明板によるとテニアン島から飛来した米軍機B-29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約600メートルでさく烈しました。爆心直下となったこの一帯は、約3,000度~4,000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人びとが瞬時にその生命を奪われました。時に1945(昭和20)年8月6日午前8時15分のことでした。原爆ドーム平和記念公園と一緒にまわりたい場所です。ヒロシマを強く感じます。
2024/11広島原子力爆弾の爆心地です。上空600メートルで炸裂し、島内医院は壊滅したようです。その後、島内氏は同じ場所で内科医院として開院しているようです。原爆ドームから徒歩ですぐのところにあります。
| 名前 |
広島原子爆弾 爆心地説明の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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原爆についての知識が浅すぎるなと思ったので、大人になってから勉強しに来ました。爆心地はどこなのだろうというのさえ曖昧だったので、平和祈念館で勉強して「島病院(外科)」の上空あたりと知り、実際にきてみました。すでに当時の町の面影なんてないよなぁなんて思っていたのですが、石碑のある建物の眼の前に「島内科医院」の文字が・・・。当時と同じ名前の医院があることに驚きました。あとから知りましたが、当時の島院長は出張であの瞬間にいらっしゃらなかったそうですね。石碑の前に立って真上を見てみました。言葉にできない気持ちになりました。原爆投下後、爆心地がこの上と推定されてからこの場所に訪れた人は皆こうして真上を見上げたでしょう。