聖徳太子ゆかり、歴史香る寺院。
南岳山 舎利尊勝寺の特徴
聖徳太子ゆかりの黄檗宗万福寺派のお寺である。
古い石碑が並ぶ由緒ある寺院として知られている。
広い境内で西国三十三ヶ所巡りが楽しめる。
黄檗宗の寺院です。門の裏側に黄檗宗特有の開梆があります。由来が心に刺さるものがありました。見逃さないように。
舎利尊勝寺(しゃりそんしょうじ)は、黄檗宗万福寺派の仏教寺院である。黄檗宗は、座禅を組むことを重んじるので、禅宗という言い方もできる。寺の名称が地名にもなっているので、舎利寺と呼ばれることも多い。鐘もあるのだが、魚の形をした木製の叩いて音で寺の内外に、何かを知らせるものが存在している。本山の万福寺と同様の物である。
黄檗宗萬福寺派のお寺ですなかなかお出逢い出来ません。雰囲気ありました。
ざっくり言えば聖徳太子ゆかりのお寺です。
黄檗宗の禅宗寺院で聖徳太子ゆかりのお寺です‼️境内に西国三十三ヶ所観音霊場がありますが手入れがされてないので荒廃しています⁉️何とも勿体ないことと思います⁉️
南岳山舎利尊勝寺、黄檗宗に属し本尊は釈迦如来です。
古そうで由緒の有りそうなお寺さんですね、門の奥や塀越しに、大きな石碑がいろいろ見えます、いづれも古く由緒が有りそうですね⭐🧐
御本尊:聖観世音菩薩宗派:黄檗宗創建の詳細は不明ですが、寺伝によれば聖徳太子の創建と伝えられています。この地は生野長者の旧地といわれており、長者に言葉の不自由な子が生まれましたが、聖徳太子はこの事を知ると、長者の子に言葉を話せる方法を説き、その際に3つの仏舎利が生まれたといいます。その3つの仏舎利は大阪の四天王寺、奈良の法隆寺、そして当寺に鎮座しました。長者の子が自由に言葉を話せるようになった事を長者は喜び、この地にお堂を建て、奉ったのが始まりです。拝:2020/02/08
舎利寺の由来となった「舎利尊勝寺」(舎利寺1丁目2番)の鐘には、大昔の物語が漢字で刻まれています。 昔(約1400年前)、この辺りに住む『生野長者』と呼ばれる立派な人に、言葉の不自由な子が生まれました。 大変心配した両親は、その頃、四天王寺におられた聖徳太子におすがりしたところ、太子は子どもに向かって「前世であなたに預けた仏舎利を今すぐ返しなさい」といわれ、子どもは口から仏舎利3つをはきだし、言葉を話すようになりました。太子は2つを奈良の法隆寺と大阪の四天王寺に納め、残りの1つを生野長者に与えました。長者は大いに喜び、お堂を建て仏舎利をお奉りし「舎利寺」と名付けました。 この鐘は、毎年大晦日の夜に除夜の鐘としてつくことができるそうです。 また、「生野」でも紹介しましたが、生野の名称はこの生野長者に由来しています。
| 名前 |
南岳山 舎利尊勝寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
06-6715-1551 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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大阪市生野区にある**南岳山 舎利尊勝寺(なんがくさん しゃりそんしょうじ)**は、聖徳太子にまつわる伝説と深い歴史を持つ、黄檗(おうばく)宗の寺院です。地元では「舎利寺(しゃりじ)」という名で親しまれています。このお寺の興味深いポイントを整理してご紹介しますね。📖 由緒と伝説:聖徳太子の奇跡このお寺の創建には、教科書でもおなじみの聖徳太子が深く関わっています。「生野長者」の物語:用明天皇の時代、この地にいた富豪「生野長者(いくののちょうじゃ)」の息子は、生まれつき言葉を話せませんでした。長者が四天王寺を建立中の聖徳太子に助けを求めたところ、太子は「この子は前世で私が預けた仏舎利(仏様の骨)を口に含んでいる」と見抜きました。3粒の仏舎利:太子が祈ると、なんと息子の口から3粒の仏舎利が飛び出し、それと同時に息子は言葉が話せるようになったといいます。寺の始まり:太子は3粒のうち、1粒を法隆寺、1粒を四天王寺へ納め、残りの1粒を長者に授けました。感激した長者が、その舎利を祀るために建てたのがこの「舎利尊勝寺」の始まりとされています。豆知識: 「生野(いくの)」という地名は、この息子が「生(い)き返った(言葉が話せるようになった)野」という意味に由来するという説があります。⛩️ 見どころ黄檗宗の建築様式:1672年に禅宗の一つである黄檗宗に改められました。山門や羅漢堂など、どこか中国風の趣が残る独特の雰囲気が特徴です。西国三十三所巡り石造物群:境内には、遠方の霊場へ行けない人のために、西国三十三所の観音様を模した石碑が並んでおり、手軽に巡礼体験ができるようになっています。歴史の証人「大楠」:1945年の大阪大空襲で本堂は焼失しましたが、境内にある大きな楠(くすのき)には今も当時の火災の跡が残っており、地域の歴史を静かに伝えています。