古城跡の歴史を感じる神社。
生山神社の特徴
鳥居と社殿の間に線路があり、ユニークな風景です。
生山の茅の輪行事は特別な体験を提供します。
『伯耆民談記』に記される歴史が魅力的です。
7月17日に茅の輪がありました。
鳥居と社殿の間に線路が走っており、この線路を渡らなければお参りができません。線路には立ち入り禁止と書いてありますが、歴史的にみれば、神社の境内に線路をひいているわけですから、注意して渡って下さい、が正解のようにも思います。とても山奥ではありますが、駅の近くということで、駅周辺には若干の商店もみられます。
『伯耆民談記』によれば「当社の山上に柴瀧というあり。孝霊天皇の皇女福姫命爰(ここ)に誕生ありしによりて後世これを生山と号しまた村名に及ぶ」という。ここから北東3.8kmにある菅福神社も、福姫誕生地の伝承がある。
ここに列車の往来を知らせる警報機などを設置出来ないでしょうか?何か起きてからでは遅いですから。
| 名前 |
生山神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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書によるこの神社の紹介文をみてみる________❶【参考 因伯叢書 第4冊 1972年版 江戸後期の書】産土神八幡宮[祭神] 誉田別尊(ほんだわけのみこと・応神天皇)[鎮座地] 生山村の央山地に在り[神主] 下岩見村 相見氏[社領] 3斗4升[証文如左](ここでは下となる)当社もと古城跡「亀井山」にありしが、当城、廃転の後、今の地に移すといへり、古城主の事并、廃転の年祀等、下に記す、如此往古は城内に勧請有りしを以て、按ずるに(かんがえてみると)、城主山名氏、関氏等の信仰によりて、当社を勧請せるなるへし、棟札は寛文十二年(1672年)の度を始めとする、是社頭、今の地に移せし年ならんや、斯(かく)て「伯耆民談記」に当社の山上に柴瀧というあり、孝霊天皇の皇女福姫命、ここに誕生ありしによりて、後世、是を生山と号し又村名に及ぶと云うは、例の妄誕(もうたん・でたらめの意味)なるべし天皇及び皇女の御事、楽々福大明神のもとに辨す、とある___________❷【参考 鳥取神社誌 昭和10年(1935年)】生山神社[祭神] 誉田別尊(ほんだわけのみこと・応神天皇)・創立年代不詳。・旧社号を「八幡宮」と称す。・❶の[証文如左]を記している。ここでは省略。[沿革]創立年代不詳。明治元年(1868年) 「八幡宮」を「生山社」と改称する明治5年(1872年)村社に列する(❸日南町史より)明治7年(1874年)「生山社」を「生山神社」と改称する明治40年(1907年)神饌幣帛料供進神社に指定される[例祭日] 10月15日[境内坪数] 618坪[氏子数] 37戸ー・-・-・-・-・-・❸【参考 日南町史 自然・文化 1984年】内容は❷【参考 鳥取神社誌 昭和10年(1935年)】と同じ。[例祭日] 春祭4月27日、夏祭7月24日、秋祭11月3日[氏子数] 210戸。