倭国の神秘、歴史の中心。
倭大國魂神社の特徴
平安時代の『延喜式』神名帳に記載される神社です。
大国魂命を主祭神とし、歴史が深い場所です。
あ八幡神社の脇から伸びる石段が印象的です。
延喜式内社「倭大国玉神大国敷神社二座」の論社という事にはなってはいるがほとんどの文献では池田町の醫家(医家)神社を式内社の論社としている。「阿波志」におていは当神社を論社としているものの大国敷祠を別項目にし「池田村池(医家)神是也」とした上で倭大國魂神が当社に祀られる事を「今別ち置く疑うべし」と言及している。また「倭」の文字に特別に意味があるように語る人もいるが当論社と式内社の社号を比較すればタマが「魂」と「玉」で異なっている。読みが同じであれば漢字は変わる事もあるのであるから大和でも日本でも倭でも等しくヤマトと訓ずるものでその違いはない。『栃木県史 第3巻』に「縣社 大神神社 下都賀郡國府村大字惣社室八嶋に鎭座せり、祭神は倭大物主櫛瓶玉命を奉齋したものである。」とあるように栃木だろうが倭大物主である。倭大国魂神も日本全国どこであろうと【畿外の阿波】であっても「倭大国魂神」であるのは当然の事である。倭大物主が祀られるからといって栃木が倭でないように倭大国魂神が祀られるからと言って阿波も倭ではない。「倭大国魂神」は後世、大物主や大国主の別名とされたりしたが、本来は倭国造が奉斎した神である。倭国造は明石国造(本姓海直)とも同族なのだが日本三大実録の貞観6年(864)に「阿波国名方郡、海直豊宗が大和連姓を賜る」とある。当神社は大和・明石→淡路→阿波と進出あるいは姻戚した一族が広がり勧請したものに間違いない。当社が大和国の元宮などという妄言を吹聴するのは根拠なき事ゆえにやめるべきだ。
徳島県が倭國の中心であったとする説を支持する神社です。
やまとおおくにたまと読みます。崇神天皇の時代に天照大神と倭大國魂神のニ神をお祀りしたと日本書紀にあります。その日本古来の神様を祀る神社が徳島にあるとは!徳島古代ミステリー恐るべしです。
主祭神 大国魂命.本殿 一間社流造. 由緒は不詳だが、平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある。[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。(境内の由緒板を抜粋) 神社の神紋は「丸に三つ柏」紋には葉脈が7本ありイスラエルにある燭台「メノラー」が由来との説もあるようです。
倭国そのものを神格化した神社。こんなものが徳島にあるとは。神社は河岸段丘上に作られ、急な階段を上ったところに鎮座している。鬱蒼とした森に囲まれているが、鎮守の森というよりも河岸段丘の自然林そのものが神域といった感じ。夕方に訪れたので一層暗く感じた。境内は綺麗に整備されている。幟も真新しくて良い。鳥居をくぐると、すぐ右手に大国魂古墳群がある。段の塚穴型古墳のなかでも古いものとされており、ここから何らかの勢力が発展していったのであろうか。このまま大切にされて伝えられていくことを望む。
古い神社で周囲に古墳が二つありました。
夕方17:30なのに女性がパワースポットなので来ました~剣山の帰りに松山市から等挨拶して。
カーナビではわかりづらくいったん通り過ぎてしまいました。八幡さんの横の石段を上った奥にあります。
八幡神社の脇から石段が伸びています。階段ダッシュ28秒😁石段を登り切ると鳥居があります。境内にはお社と由緒書きがあります。石段から脇に入ると、古墳があります。
| 名前 |
倭大國魂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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グルグルしたけど辿り着けなかったのでこの星。車とスマホのナビを頼りに行ったけど入り口には連れて行ってくれなかった。危うくアルファードがガードレールにハマるほど狭い道を案内され…一巻の終わりと覚悟した。なんとか切り抜け対向車の方に場所を聞くが地元の方でもこの神社は首を傾げた…もっと違う方向にも行けばわかったのだろうが何せもう車が抜けなくなるかも!と言う恐怖心が植え付けられてしまったのでそれ以上探し回ることを断念した。後からいろいろ見てみると…八幡神社の中にあった様です。検索は八幡神社で行ってください!リベンジしたいと思います。