海面に光る十一面千手観音。
浄心寺[曹洞宗]の特徴
浄心寺は300余年前からの歴史を持つ寺院です。
照らし出す摩訶不思議な十一面千手観音が見どころです。
松江駅から北西750mの位置に伽藍が構えています。
曹洞宗のお寺です。入り口は狭いですが、中はそれなりに広いです。
今から300余年前、隠岐国の大樹の元に、毎夜、海面に光を放ちたまう摩訶不思議な十一面千手観音がありました。貞享三年(1686年)、霊夢から今の東本町の舟屋で水夫として働く栄蔵が隠岐に渡り、その十一面千手観音を持ち帰り、今の外中原町にある清光院に納めました。正徳二年(1712年)、こちらの浄心寺の第三代にあたる愚峰円如和尚が霊夢により清光院から十一面千手観音を請い受けました。のち、こちらの浄心寺は松江城下観音札所第十三番霊場として深く信仰される寺となりました。
| 名前 |
浄心寺[曹洞宗] |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0852-21-1615 |
| HP | |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
|
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浄心寺(じょうしんじ)は、松江駅の北西750mほどの島根県松江市和多見町に伽藍を構える曹洞宗の寺院です。御舟屋(現 東本町五丁目)の稲荷神社の側にあった鰐渕寺(がくえんじ)宿坊とされていた建物を、曹洞宗を信仰していた新田幸大夫(1650年没)が自ら願主となり、藩に願い出て、この宿坊を買い上げ、現在の売布神社前にあった自分の私有地に移し、浄心寺として建立し、清光院三代の高岸栄甫和尚(1658年没)を開山に招請し自ら開基となり創建されました。8代 月山桂道和尚(1801年没)は、出雲三十三観音霊場の案内書作成を思いつき、自ら巡礼を行い、各霊場の縁起、逸話、行程などをまとめ上げました。それは後に『出雲札所観音霊場記』(二巻)として文化11年(1814年)に出版されました。12代 中興 金嶺恵文和尚(1874年没)は、徳川幕府が動揺し世情不安な状況にあった文久元年(1861年)に出雲国内外の二千二百有余の社寺に天下泰平・万民安穏を祈願するための額の奉納を始めました。十年後の明治3年(1870年)松江市八幡町の平浜八幡宮に満願成就の額(縦約3.3m、横約8.1m)を奉納し、本殿裏に掲額されています。この額は、百四十年余りの風雪にさらされて文字は判読できにくい状態でしたが、八幡神社遷座九百年の歴史事業として、平成25年(2013年)修理補完作業によって完全に修復されています。18代 重興現応心瑞和尚の代、大正2年(1913年)に、本堂北側にあった枯れ花置き場付近から出火し本堂が炎上しました。そのため西津田町の禅覚寺の本堂を譲り受け、翌年7月再建、入仏式を行い今日に至っています。観音堂には、十一面千手観世音菩薩がご本尊として祀られています。これは御舟屋が夢さとしにより、隠岐から持ち帰り奉安したものとされています。堂宇は、歴代住職ではありませんが愚峰円如和尚によって、正徳2年(1712年)に建立され、以後、幾度か修理補修がなされ、19代 道雲一弘和尚の代、昭和62年(1987年)に大改修をしました。松江観音霊場第十三番札所として、また大漁、海上安穏、交通安全の霊験もあらたかで参拝者も多い。山門に掲げられている「普門閣」の額は、曹洞宗の月舟宗胡(1618〜1696年)の手によるもので、京都の清水寺の轟門にも同人による同じ額が掲げられています。「普門閣」とは「観音堂」ということでで、額が大きくて観音堂に掲げることができないため山門に掲げたといわれています。平成26年(2014年)児育(こそだて)地蔵尊が建立されました。曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つです。鎌倉仏教のひとつで、道元(どうげん:1200〜1253年)は、臨済宗黄龍派の明全に随身した後、共に宋に渡り、天童山で曹洞宗の天童如浄(長翁如浄)に師事して開悟(身心脱落)して修行が終わり、嘉禄2年(1226年)に帰国して広めました。本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)です。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴としますが、仏陀つまり悟りを開いた人・目覚めた人の教えであるので、出家在家に拘らず、求道者各自が悟りを開くことを標榜します。