神武天皇ゆかりの多家神社。
多家神社の特徴
神武天皇が東征中に滞在した由緒ある神社です。
古事記や日本書紀にも記載されている歴史ある場所です。
広島城の建物を移築した宝蔵が珍しい神社です。
55年振りに訪れました埃宮様お久しぶりです!私は町立府中小学校卒です。(吉川晃司の母校でもあります)小学校も立派になっていてビックリ当時は木造校舎がまだ残って居ました。ここ埃宮と前を流れる榎木川は子供の頃の遊び場でした。埃宮の大きな木々が私を再び迎え入れてくれたように感じま゙した。木々から涼しく吹いてくる優しい風に埃宮様を感じてとても癒されました。
たけじんじゃ主祭神 神武天皇安芸津彦命とても優しく温かいゆったりとした空気感の神社でした。駐車場も下と上にありました。一の鳥居とニの鳥居のところに本殿のまわりもぐるっと廻れます。
古事記と日本書紀に記載されている神社を巡る広島編広島駅からお宮さんの前まで行ける府中山田行き2-2のバスで行く本数が少ないので注意バス停から少し歩くと鳥居の奥に見上げる程階段がある神武天皇がいらっしゃったお宮だそう神武天皇記念碑や由緒書を読んで階段を上ると正面に見るからに古そうな建物がある広島城より移築された現存唯一の建物の宝蔵を拝見する拝殿を参詣した後、後ろの本殿の外側を一周できる神社は住宅地に囲まれた小山の貴重な森の中に佇んでいた帰りのバスは時間が合わなかったので本町4丁目まで歩いて広島駅まで戻った。
主祭神は神武天皇、安芸津彦命、相殿神は神功皇后、応神天皇、大己貴命。式内名神大社の後継神社として、明治6年創祀。神武天皇が東征の時に立ち寄られたとされる格式のあるたいへんありがたい神社です。
参拝し書置き御朱印2種をいただきました。階段を登ると立派な拝殿がありました。御朱印は下の社務所でいただきました。
神武天皇が東征の際に7年滞在されたとされる場所に作られた宮。小高い丘の上にある荘厳なお宮でした。
初代神武天皇が立ち寄った由緒ある神社です。古事記に多祁理宮、日本書紀では埃宮と書かれている神社なので御朱印も二種類ありました。ずっと場所が特定できなく、明治になってようやく今の場所に決まったという変わった経緯があります。歴史は長いですが近代に建立されたため広々として整った綺麗な神社です。本殿、拝殿は高台の森の中にあり石段はかなり長いです。麓には大きな遊具がある広い公園がありました。初詣は多くの人で賑わい、近くにある約50台程停められる臨時駐車場には駐車待ちの車列ができてました。サッカー日本代表のエンブレムや、都市伝説で有名な八咫烏が祀られています。広島市内の神社ではあまり見ないのでちょっと嬉しかったです。
由緒ある神社で、古事記・日本書紀ゆかりの神社だそうです。境内はとても綺麗で、車でも直接乗り入れることができます。御朱印は、書き置きですが頂くことができました。
『延喜式(えんぎしき)』という平安時代の文献に記載された「多家神社」はココだ!と言われている神社です。神武天皇が日向国(宮崎県)から橿原(奈良県)へ向かう道中に立ち寄った場所と言われています。しかし、歴史を重ねるうちに『延喜式』の「多家神社」は場所が分からなくなります。そして地元では「惣社(そうじゃ)」と「松崎八幡宮」という神社が「我こそが多家神社である」と主張しあうようになりました。※両社とも現存しません。明治時代になり「真の多家神社」を決めることとなるのですが、なんと真の多家神社は「惣社」でも「松崎八幡宮」でもなく、神武天皇伝承のある「誰曽廼森(たれそのもり)」という驚きの展開を迎えます。そうして設けられたのが、現在の多家神社になります。社殿には、当時、厳島神社につぐ豪華さを誇る三の丸稲荷神社(広島城)の社殿が用いられました。戦前期、社殿は燃えてしまいましたが、宝蔵は今なお残っており県の重要文化財になっています。交通ですが、駐車場が充実しています。神社の前から広島駅に向かうバスが出ています。JR天神川駅からは少し歩くような感じです。また社務所のある下のところから、社殿にあがる階段は急なので、足に自身のない人は境内まで自動車で上がるか、迂回して社殿まで歩く方が良いと思います。良いお参りを。
| 名前 |
多家神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
082-282-2427 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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歴史ある神社をみんなで大切にしてね❤️八咫烏と金鵄のお守りなど色々買いますた。