広島城跡で戦の歴史を辿る。
広島大本営跡の特徴
明治天皇が滞在した歴史深い広島大本営跡です。
日清戦争時、軍部が設置された重要なスポット。
歴史を感じる広島の貴重な観光地としておすすめです。
広島大本営跡は、広島駅の北西1.4kmほどの広島市中区基町にある広島城の城内にあります。明治27年(1894年)に勃発した日清戦争の際、旧日本軍の最高統帥機関である「大本営」が東京から広島へ移されました。当時の山陽鉄道の開通や宇品港(現 広島港)の存在といった輜重(物流)・交通の利便性から、広島が前線基地として選ばれたためです。大本営の建物には、明治10年(1877年)に建てられた木造2階建ての洋館(当時は第五師団司令部庁舎)が充てられました。明治天皇は同年9月から翌年4月まで約7ヶ月間にわたりこの地に滞在し、直接戦争の指揮を執りました。この期間、帝国議会も広島で開催されるなど、広島市は事実上の「臨時の首都」として機能しました。日清戦争の勝利後は国の史跡に指定され、観光名所として親しまれていましたが、大東亜戦争中の昭和20年(1945年)8月6日の米軍による原子爆弾投下により、爆心地から約980mの距離にあった木造の建物は、爆風と熱線によって跡形もなく倒壊・焼失しました。現在は、かつての建物の礎石(土台の石)と石碑だけがひっそりと残されており、往時の面影はありません。しかし、軍都として栄えた広島の歩みと、原爆の凄まじい破壊力を今に伝える無言の証人として、平和の尊さを訴え続けています。
明治27年(1894)8月に日清両国に戦端が開かれたのち、それまでに山陽鉄道が開通していたことや宇品港を擁するといった諸条件により、同年9月広島市に大本営が移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所とされ、ここに大本営が設けられた。明治天皇の広島滞在は、同年9月15日から翌年の4月27日までの7か月あまりに及んだ。その後、建物は広島大本営跡として保存されたが、原爆により倒壊し、今は基礎石のみ残されている。
日清戦争の時に天皇陛下も長期間滞在されたという場所の台座。肝心の建物は原爆で吹っ飛びました。かつては広島城と並ぶ観光名所だったようです。
ただの礎石が並んでいるだけの場所、と言ってしまえばそれまでかもしれない。けれど、かつてここが日本の『首都』だった時代がある。明治天皇が半年近くを過ごし、国の運命を決める会議が繰り返された場所。今は静かな公園の片隅に、かつてこの国を動かしていた巨大な意志が、静かに、しかし確かに眠っている。そんな歴史の呼吸を感じられる場所です。
かねてから広島城を訪問したかったがやっと実現した。本丸内に有る石段と基礎のみ残っている史跡。皆さんの口コミ通り日清戦争時に大本営が有ったとされる場所である。明治天皇が滞在して指揮を執った場所に時を経て自分が立っている事に不思議な感覚を覚える。本丸内に存在する事も大きい意味が有ったのかも知れない。広島の歴史を学びたいと思う。
広島に大本営があったことにびっくりした。 歴史を感じて、自分の中だと2番目にオススメする。
昔大本営の建物があった場所です。原爆で倒壊して今は石段しか残っていません。
日清戦争時に 明治天皇が約7ヶ月間にわたって広島に滞在し、そこで政務や指揮を行ったため、広島が事実上の日本の首都となりました。その時に政務や指揮を行った場所が広島大本営です。「大本営」とは、戦時中に天皇の直属に置かれた軍の最高統帥機関のことです。日清戦争後、この建物は「広島大本営跡」として大切に保存され、戦前は天守閣と並んで広島の名所となっていました。1945年8月6日の原爆投下により、建物は完全に倒壊・焼失してしまったので、現在は建物そのものは残っておらず、建物の基礎(礎石)と石碑だけが残されています。
広島城の本丸にある史跡で、戦時中は陸軍指令部が立てられていたところです。歴史を、感じることが出来ます。
| 名前 |
広島大本営跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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2026.5.13訪問。日清戦争時に大本営が東京から移された場所跡。恐らく原爆投下前でも広島にとって歴史的な場所だったと思います。原爆によって倒壊しても広島城とは違い再建という事にはならない。かといって更地にする必要もない。この状態でも人の目に留まるので歴史を語る役目としては十分です。