松山城の太鼓門、歴史が刻む防衛の誇り。
太鼓門の特徴
無骨で清潔感のある見た目が特徴的です。
本壇前の大手側最後の防衛箇所となっています。
松山市内の絶景を楽しみながら訪れることができます。
松山城の太鼓門になります。説明板が設置されていてわかりやすいです。
松山城・太鼓門〒790-0008 愛媛県松山市丸之内2太鼓門では両側の石垣の「焼夷弾の爆風と熱による表面の剥がれ」に注目です。太鼓門まで来る途中に、石垣の案内板もありましたので、そちらも、こちらで、文字起こししておきます・「戦後、最初の大規模な石垣工事であり、その記念名が隅石に刻まれている。」次にこの石垣を見上げる人は、ぜひ記念名が刻まれているを隅石を探してみてください。●太鼓門太鼓門は、本丸大手の正門と位置付けられている脇戸付の櫓門で、巽櫓(たつみやぐら)や太鼓櫓とともに防衛線を構築しており、隠門(かくしもん)や筒井門とその続櫓による第1の防衛線に続く第2の防衛線となっています。築城時に建てられたと考えられ、明治時代になり石落や窓などが改変されました。 昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、同20年(1945年)7月に戦災で焼失したため、同47年(1972年)2月に門は欅(けやき)、階上は栂(つが)で復元されました。門の両側の石垣には、戦災による剥離(はくり)が残されています。なお、戦後、太鼓門南続櫓跡には、朝6時、正午、夕方6時の時報にあわせて音楽を流すミュージックサイレンが置かれ、市民に親しまれていました。※石落・・天守や櫓や塀などの床面を張り出して設けた細長い穴で、石垣を登ってくる敵に頭上から石などを落とすために仕掛けられたといわれているが、現在は鉄砲の射撃としての穴として理解されている。Taiko-mon (Drum Gate)This turreted gate serves as the front entrance to the main bailey and, with Tatsumi Turret and Taiko Turret, it was the second fortified line of defense after the Kakure and Tsutsui Gates and their connecting turrets. Taiko Gate is thought to have been built when the castle was first built, but in the Meiji Era (1868~1912) the stone drop and windows were altered. In 1935 it was designated as a National Treasure, but it was destroyed during the fire bombing of July 1945. It was restored in 1972 using zelkova and Japanese hemlock. The stone walls on both sides of the gate still exhibit surface flaking from the blast of heat of the fire bombing. After WWII, chimes were installed in the south connecting turret which rang every day at 6:00am, noon, and 6:00pm.●巽櫓(たつみやぐら) 同西塀巽櫓は、本丸の南東(巽方向)に位置する二重櫓で、一重目南面に千鳥破風が付けられて います。太鼓門と一体となって防衛線を構築しています。巽櫓西塀(太鼓門東塀ともいう)は長さ7.82mで、6箇所の狭間が(さま)備えられています。いずれも、築城時に建てられたと考えられ、昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、同20年(1945年)7月に戦災で焼失したため、同61年(1986年)2月に復元されました。うしとらやぐら ばぐやぐら※千鳥破風・・天守などの屋根を装飾する破風の一つ。三角形の破風で、屋根の上に据えるだけの構造なので、制約が少なく、最も一般的に用いられる。松山城本丸では、本壇内の建物、巽櫓、太鼓櫓に付けられている。なお、古文書によれば、良櫓、馬具櫓にも付いていたことが記されている。※狭間・・塀や櫓などに空けられた小窓のことで、矢狭間は立って弓を引くため高い位置にあり、鉄砲狭間は片膝ついて撃つため低い位置にある。松山城では、正方形が鉄砲狭間、長方形が矢狭間である。Tatsumi-yagura(Souteast Turrent),Souteast Turrent West WallThis two-story turret faces the southeast. A dormer is built into the first level on the south side.This turret is part of the line of defense along with Taiko Gate and the west wall. The west wall is 7.82m long and has 6 loopholes for shooting guns and arrows. Both the turret and wall were designated as National Treasures in 1935, but they were destroyed during the fire bombing of July 1945. They were restored in 1986.●石垣松山城の石垣は、 松山城を特徴づける構造物の一つで、中でも「登(のぼ)り石垣」は、全国で最大規模を誇ります。石材には、主に花崗岩が使用され、隅部はほとんどが算木積(さんぎづみ)です。本丸を囲む高石垣(たかいしがき)は、高さ10mを越え、美しい曲線を描く扇勾配と、屈折を連続させることで防御性を高めた屏風折(びょうぶおり)が特徴です。江戸時代に改修を受けている部分もありますが、北側を中心に、加藤嘉明による築城時{慶長7年(1602年)~}の典型的な石垣が良く残されています。その特徴は、緩い勾配と上部のきつい戻り、一部自然石を使用した打込ハギの乱積です。一方、本壇(ほんだん)の石垣は、北側と南側で異なっています。北側は、時期はわかりませんが、打込ハギの布積(ぬのづみ)で、隙間に合わせて加工された間詰石が詰め込まれている特徴がみられます。南側は、北側より新しく、嘉永年間(1848~1854年)、天守などが再建された際に、新しく積みなおされ、十分に手間をかけた切込ハギの布積で、隙間のない整った外観となっています。※算木積・・石垣の隅部の積み方で、細長い石を使用し、長辺と短辺を交互に積み上げる方法である。16世紀後半から登用され、慶長10年(1605年)頃に完成しているため、石垣築造年代の判定ができる。※打込ハギ・・打ち欠いた石材を用い、 接合面を合わせて積み上げる方法で、自然石を用いた 野面積より隙間が少なく、 高く積み上げることができる。※切込ハギ・・整形した石材を用い、密着させるように積み上げる方法である。※乱積と布積・・乱積は、横方向の目地が通らない積み方で、布積は、横方向の目地が通る 積み方である。※長者が平(なる)から登り、最初に見える右手の美しい勾配の石垣(高さ約16m)は、昭和20年に長雨で崩れたため、同22年に修復されている。戦後、最初の大規模な石垣工事であり、その記念名が隅石に刻まれている。
ここ太鼓門は戦災で焼失しますが、その際に石垣 にも延焼の跡が残っています。
太鼓門近くにある松の木が立派だった為、撮影しました。
石垣と分厚い木材で造られた強固な門です。門の上にある窓や塀にある狭間と呼ばれる穴から侵入者に攻撃したようです。
無骨で清潔感のある見た目だと思います。
筒井門・隠門の次の門で、本壇前の大手側最後の防衛箇所です。
2021年4月訪問松山城の筒井門を潜り、右手に隠門、さらに松山市内の絶景を観賞しながら辿り着くのが、此方の太鼓門です。以下、ニッポン旅マガジンより抜粋です。松山城の大手側登城ルートで本丸の筒井門をくぐった先の門が太鼓門。この先が天守の建つ本壇となります。西に太鼓櫓、東に巽櫓(たつみやぐら)が配された脇戸付の櫓門で続櫓が置かれ、太鼓櫓・太鼓門・太鼓門東続櫓・巽櫓と連続する強固な防御網を形成して、本丸南腰郭に侵入してくる敵に備えています。太鼓門は昭和20年7月26日の松山大空襲で太鼓櫓などとともに焼失。現在の太鼓門は、昭和48年に周辺の続櫓、太鼓櫓とともに再建されたもの。
石垣の上に構築されている南側からの敵侵入に備えた門。往時の門は空襲で焼失し、戦後復元されたもの。
| 名前 |
太鼓門 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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太鼓門は1945年に戦災により焼失し、1973年に木造復元された。太鼓門は本丸大手の正門であり、太鼓櫓や巽櫓とともに筒井門、隠門の第一防衛線に続く本丸への第二防衛線となっている。