津久見市役所、親切丁寧な応対。
津久見市役所の特徴
申請窓口がほんの少し混んでいたが、スムーズに対応される暖かい場所です。
親切丁寧な応対が心地よく、何度も助けられています。
マイナポイント効果で、多くの人が訪れる活気ある市役所です。
庁舎の前に、大きなグランドがあります。
洪水で実家が床上浸水になった際には大変お世話になりました。右も左もわからないジジババに対して非常に丁寧に対応いただきました。大変ありがとうございます。
いつも親切丁寧な応対で感じ良く助かっています。Wi-Fiがあると もっと良いのにね。
暖かい場所です。
マイナポイント効果で、マイナンバーカードの申請と交付窓口がほんの少し混んでいました。
親切な応対でした。
| 名前 |
津久見市役所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0570-012-934 |
| 営業時間 |
[月火水木金] 8:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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津久見市役所は、JR津久見駅の南西250mほどの大分県津久見市宮本町にあります。庁舎は、昭和33年(1958年)に本館と別館が完成しました。しかし、老朽化や耐震性不足により、現在は津久見港の埋立地に地上5階建ての新庁舎を工事中で、令和8年(2026年)7月末に完成予定で、災害への強さと市民の交流促進を重視した防災拠点となります。南海トラフ地震に備えて免震構造と津波避難ビル機能を備え、隣接するつくみん公園と一体となった開放的な空間や、バリアフリー仕様のユニバーサルデザインを採用しています。柱に免震装置を採用し、地震時の揺れを最小限に抑えます。津波発生時には1000人以上を収容できる緊急一時避難場所として機能するほか、非常用発電機により約1週間連続で稼働できる体制を整えています。津久見市教育委員会や子育て支援施設などを集約しており、利便性の高さから中心部の交流人口増加が期待されています。また、つくみん公園と緑のネットワークでつながり、周辺の商店街とも回遊しやすい立地です。誰もが利用しやすいようバリアフリー設計が徹底されており、多目的トイレや授乳室なども完備しています。庁舎のある「津久見(つくみ)」という地名由来には諸説あり、有力なものとして「風の音が『ひゅーひゅー』と聞こえたことに由来する説」や、港湾を示す「津(つ)」に由来する説が挙げられます。中世の古文書にも「津久見」の表記が見られ、古くから天然の良港として知られていた地域です。戦国時代にはキリシタン大名の大友宗麟の支配下にあり、彼が最後の居住地として選び、天正15年(1587年)にこの地で生涯を閉じました。江戸時代に入ると、市域は臼杵藩と佐伯藩に分断され、統治されました。この頃から、温暖な気候を活かしたみかん栽培や、伝統的な椎茸栽培、良質な石灰石の採掘が始まっています。明治以降、大正5年(1916年)日豊本線開通が大きな転換点となり、陸上輸送の整備をきっかけに近代的なセメント工場が進出し、日本屈指のセメント工業都市へと急速に発展しました。また、保戸島を中心にマグロ遠洋漁業の基地としても全国にその名を轟かせました。昭和26年(1951年)津久見町・日代村・四浦村・保戸島村が合併して「津久見市」が誕生しました。豊後水道に面した豊かな自然と特有の産業で歩んできた歴史ある街であり、独自の鉱工業と水産業を骨格に、今なお豊かな伝統を繋いでいます。しかし、人口は昭和35年(1960年)の37,164人をピークに減少の一途をたどっており、現在は14,000人規模にまで減少して、人口減少率が大分県内の市区町村で3番目に高い約12%を記録しており、高齢化率も45%を超えていて将来性は非常に厳しい状況となっています。「津久見(つくみ)」という地名は、かつてあった豊後佐伯藩の北海部郡(きたあまべぐん)津久見村に由来します。明治22年(1889年)津久見村・津久見浦・千怒村・八戸村が合併して、津組村が発足しました。大正10年(1921年)津組村が町制施行・改称して津久見町となりました。昭和8年(1933年)津久見町・青江町・下浦村が合併し、改めて津久見町が発足しました。昭和26年(1951年)4月1日 - 津久見町・日代村・四浦村・保戸島村が合併して、津久見市が発足しました。令和8年(2026年)6月の推計人口は13,605人です。