高松山妙玄寺で御朱印巡り。
高松山 妙玄寺の特徴
備中高松城へ向かう途中に位置するお寺です。
花房職之 道慧公の供養塔があり、歴史を感じます。
御朱印をいただくことができる参拝スポットです。
書き置きの御朱印がもらえます。お金を納める箱がありその中に御朱印があります。筆もあり来た日を書くことが出来ます。
御朱印は備え付けの箱📦にある書き置きを頂きました。しっかり整備清掃🧹されていて綺麗でした。
高松山妙玄寺(こうしょうざんみょうげんじ)は、慶長5年(1600)、高松知行所の領主・花房職之公により花房家の菩提寺として建立された、日蓮宗の寺院。備中高松水攻の名残をとどめる寺院ということで、別名、水攻寺とも称されるそうです。「最上稲荷高松城支院」として今日に至っています。新しく諸堂再建がされて綺麗に整備され、静かな落ち着きのある場所でした。
歴史の1ページですね~
💮備中高松城🏯に向かう時に見つけ参拝しました🙇
高松城趾公園駐車場から道をはさんだところにあります。日蓮宗のお寺でこちらが清水宗治公自刃の地と言われており、境内には供養塔が建立、本堂には宗治公御位牌も安置されています。境内脇には宗治公御切腹に際し家臣御二人が殉死されたと伝わるごうやぶも有ります。書き置きですが清水宗治公自刃の地と書かれた御朱印も頂けます。
花房職之 道慧公の供養塔の写真を追加します。周辺には現当主?建立の先祖墓、分家の戸方(合わせれば房の字)家、現地の代官を務めた小島家のお墓があります。昭和28年頃の妙玄寺を追加しました。
花房職之 道慧公の供養塔の写真を追加します。周辺には現当主?建立の先祖墓、分家の戸方(合わせれば房の字)家、現地の代官を務めた小島家のお墓があります。昭和28年頃の妙玄寺を追加しました。
2021/3/21来訪。最上稲荷高松城支院高松山妙玄寺。清水宗治公自刃の地に建つ、備中高松城水攻めゆかりの寺。境内に休憩所が有りそこに解説板があります。
| 名前 |
高松山 妙玄寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
岡山市北区高松にある日蓮宗のお寺。最上稲荷高松城支院。高松の領主花房家の菩提寺として建てられたこのお寺があるのは、あの備中高松城の城主清水宗治が切腹した場所です。戦国時代、清水宗治は中国地方の大部分を治めていた毛利輝元の叔父であの毛利元就の三男である小早川隆景の家臣でした。毛利家と織田信長が対立すると信長の家臣羽柴秀吉が中国へ進軍を開始。毛利側の寝返りや落城が相次ぐ中で備中の要所にあった高松城も羽柴軍が迫り、地の利を生かし堰で水を堰き止め城を孤立させるという奇策に遭います。これが有名な秀吉の備中高松城の水攻めです。家臣だけでなく周辺の領民も逃げ込んだ高松城側が籠城で疲弊する中、織田信長が家臣明智光秀の謀反による本能寺の変で自害しました。すぐに東へ引き返して光秀を討ちたかった秀吉は毛利と和睦をする為に条件の1つとして高松城主である宗治の自害を要求します。毛利側は宗治の自害に反対しますがその話を聞いた宗治は了承し、小船の上で舞ってから切腹しました。最期を見届けた秀吉は「武士の鑑」と宗治を賞賛しその後世に言う中国大返しで京に向けて引き返し山崎の戦いで明智光秀に勝利し天下人への道を駆け上がっていきます。その中で秀吉と共に宗治の最期を見ていた家臣や従っていた武将達も出世して各地の大名となり切腹が武士の最期に相応しいという考えが全国に広まり江戸時代には武士の自刃は切腹が基本になっていきました。現代でこそ周囲はのどかな田園風景が広がっていますがこの平地の一帯が人為的に水に沈んだと考えると恐ろしいです。妙玄寺の境内には清水宗治の供養塔が建てられていたので本堂への参拝前にそちらへ手を合わせました。本堂内には清水宗治の位牌も安置されていて中に入ることは出来ませんが窓越しでも見ることは出来ます。備中高松城址資料館には位牌の写真を見ることが出来ます。普段は無人のお寺ですが書き置きの御首題と絵馬が用意されていました。御首題は清水宗治最期の様子の印が押されています。絵馬には「覚悟と決意」「SEPPUKU」と書かれた並の気持ちでは書けなさそうな言葉があります(笑)参拝後は備中高松城址公園を散策。今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」にも登場すると思うのでそちらも楽しみです。