大草城跡で朝の散歩を!
大草城跡の特徴
道路に看板があり、城趾まで車も入れる便利な立地です。
大草城跡碑の案内標識があるため迷わず訪れられます。
南からのアプローチは急坂を登るので特別感があります。
現在の愛知県長久手市にあった城趾です。十六世紀後半に森長可により大規模な改修がされたと伝わっています。森長可は「小牧長久手の戦い」では豊臣秀吉方の武将であり戦死後に、この城は廃城されました。大草城は東西・南北とも約250m標高90〜120m比高30mの平山城で主郭・東郭・東南郭・南西郭が設けられ、東西に空堀が構えられ、土塁・堅堀・曲輪がありました。永見寺の左側から登ると熊野神社が鎮座しており、神社の左手に城址碑があります。熊野神社の一帯が城趾となります。熊野神社の西側の道路は狭いので永見寺の駐車場を、お借りして散策させて頂きました。
愛知県長久手市にあったお城跡。16世紀後半、蘭丸のお兄ちゃん森長可により大規模な改修がなされたらしい。長久手の戦いで森長可が戦死すると、廃城したそうです。周辺は住宅街なので、不審者に思われない程度に散策を🏯
熊野神社境内に碑があり、神社社殿を大きく囲む様にダート道が続きます。ダート道脇に堀切っぽい水路がはしりますが、いつのものかは不明です。当時のものだとしても、城域をわけるものなのか、曲輪をわけるものなのか、わかりません。神社裏山が、気になりましたが、方形にきれいに整地され過ぎていて、何かしらがあったとしても、遺構としては残っていません。神社下は急斜面になっています。また、神社参道にある永見寺には、「小五郎の松記念碑」など、悲話が伝わっています。
道路に看板があり、城趾まで車が入れます。2台くらい停めれます。民家が少ないですが、神社として残っているようです。
大草城は、南知多にもありますが、これは長久手の大草城です。住宅のなかにあります。石碑があるだけです。とても寂しい城跡です。1221年の承久の乱で廃城となった大草城を小牧長久手の戦いで羽柴(豊臣)秀吉の家臣で「鬼武蔵」として名を轟かせた森長可が、砦として使えるように改築されました。なので森長可さんの居住城でもあります。こんな近くに蘭丸さんの兄が住んでいたなんて嬉しいですね😊近くで農作業をしていたおじさんが、車をバックする時に敷地内に入れさせてくださり、誘導してくれました。親切なおじさん、あの時はありがとうございました😊😭
朝の散歩に寄ってみたスタスタ🚶大草城跡碑の案内標識がある城跡ではなく石碑の標識....(・◇・;) ?お寺に神社あるある...お墓🪦あるある...住宅に畑あるある...段郭らしき段々がたくさんあるけど、改変されてて遺構がわかりにくい城跡あるある( ´゚д゚`)アチャー
南からのアプローチは細い急坂を登ります。
石碑のみです。道は狭いですが、綺麗に整備されています。説明板が欲しいですね。
| 名前 |
大草城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
郭や堀のあとなど楽しんでいたらどうも立ち入り禁止??とか?神社側から侵入しないと周知のようですね。