日野の歴史、馬見岡綿向神社へ!
馬見岡綿向神社の特徴
地元日野商人に愛されている歴史ある神社です。
日野城跡の近くに位置する隠れた名所です。
元旦の初詣で賑わう特別な雰囲気を持っています。
日野に住み出してから毎年のように初詣に行かせてもらってますが、今年は初めて元旦にお詣りしました。駐車場がいっぱいなのでは?と思ったら意外とすんなり止めれました。時間が昼時だったからなのか?ただお詣りするのに少し10分ほど並ぶ必要がありました。この神社は本殿の裏に神様に1番近い場所という裏側からお詣りする場所があって面白いでぜひ裏側からもお詣りしてみてください。
昔から地元の日野商人に愛されている歴史ある神社。参道には芝生がひかれており、ゆったりとした気分で参拝することが出来る。5月には日野で最大の祭り“日野祭”が行われている。
日野城跡に行った後に、近くにあったので行ってみたのですが、想像していた5倍?の立派な光景に驚きました!日々、手入れされているのがわかる美しさの中にある重厚感たっぷりの鳥居がまず目を引きます!緑がたっぷりで心が解ける感じです。古い絵馬なども掲示されており、丁寧に、愛され続けてきた神社さんなのだろうなと感じさせられました。御朱印は書き置きが日付いりで無人で置いてありました。(日付入りだなんて親切ですね)その横に300円の拝受料を納めるパターンです。こうゆう時、日本って凄いなと感心します。こちら、猪所縁もあるようで、導かれたり、救けられた話はほかでも聞きますが、野性の本能と言うのでしょうか、動物の危機管理能力って凄いですよね。因みに、撫で猪と言うものが有り、コロナ対策バッチリの!エアータッチでしたよ!何から何まで完璧です!{携帯の電源はお切りください}との表示があったにも関わらず、この、美しさを!参れずにいる母にも見せたくて撮ってしまいました!ごめんなさい!
| 名前 |
馬見岡綿向神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0748-52-0131 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)。滋賀県蒲生郡日野町村井。式内社(小)馬見岡神社(ムマミヲカノ)二座、旧県社。綿向山(わたむきやま)の山頂に祀られている大嵩神社の里宮。主祭神:綿向山を神体山とし、出雲系(ホヒ家)の三柱を祀る。天穂日命(アメノホヒノミコト) - 綿向大神天夷鳥命(アメノヒナドリノミコト)武三熊大人命(タケミクマオウシノミコト)資料によると、神武天皇の時代に出雲国の開拓神を迎えて祀り、545年(欽明天皇6年)に綿向山の頂上に祠を建てたのが始りと伝えられ、平安時代の初期の796年(延暦15年)に現在の地に移転されたとされている。中世の1209年(承元3年)に境内の社殿がすべて焼失する火事があったが、社殿が再建されたのは181年後の1390年(明徳元年)のことであった。蒲生氏の庇護中世後期には日野に城下町を築いた蒲生氏が氏神として庇護し、蒲生上郡の総社として崇敬を集めた。1521年(大永2年)に兵火で焼けた社殿は、1549年(天文18年)に蒲生定秀、1571年(元亀2年)蒲生賢秀によって修復された。蒲生氏郷は1584年(天正12年)に伊勢に、その後会津に移ったが、当神社への寄進は続けていた。会津黒川に転封した際、この神社の参道一帯にあった「若松の森」と呼ばれた松林を偲び、新たな領地「会津黒川」を「会津若松」に改名したという。氏郷のあと蒲生氏は秀行・忠郷・忠知と引き継がれてゆき、領地も会津の後は宇都宮・会津・松山と転封するが、綿向神社への寄進は継続していた。しかし1634年(寛永11年)当時伊予松山藩主であった蒲生忠知が嗣子なく没して蒲生家は残絶したため、蒲生氏からの庇護はなくなった。近世には近江日野商人(近江商人)が出世開運の神として崇め、近江日野商人から寄進された拝殿・絵馬殿・石灯籠・石橋などが境内に残る。綿向山の頂上に祀る綿向神社の奥宮である大嵩神社(おおだけじんじゃ):綿向大神(天穂日命)。とあります。