古代の地名、下植木の宝塔群。
下植木赤城神社石造美術群の特徴
鎌倉~室町時代の宝塔が十数基保存されています。
赤城神社の覆屋で文化財を間近に感じられる体験が可能です。
下植木の地名は古代に由来し、歴史の奥深さを感じられます。
履屋の中にズラリと並んでいる石造物に視線が釘付けになる…。中でも県重文の宝塔はひときわ堂々としていて、ものものしい雰囲気を撒き散らしている。四角と丸と三角の単純な組み合わせだけに、こーゅうのとにらめっこしていると、どうしても貫禄負けしてしまう…。案内板あり。🅿️あり。
平日の昼間に訪問しました。メインの道路沿いでしたが、訪問客は誰もいませんでした。おかげでじっくり読み見られました。
鎌倉~室町時代の宝塔十数基が、赤城神社境内の覆屋の中に保存されている。輪廻車のあるものもある。
この神社のある土地の下植木という地名は、植木に関係があるわけではなく、その由来は古代に遡るといいます。その昔、この辺りには東山道の佐位の駅(うまや)があったので「えき」が訛って「うえき」となったのだそうです。その下植木にある赤城神社に残る石造群に「秦」という名が刻まれていると、古い史料にあったので、わざわざ出かけてみました。石造群は鍵の掛かった小屋に収納されていましたが、確認することができました。立派な宝塔の寄進者として刻まれている秦氏の名は、伊勢崎に絹織物の技術を伝えた渡来人の存在を思わせます。初詣に訪れる人々のなかで、石造群をパチパチ撮影するのは、かなり浮いていて恥ずかしかった…です(^_^;)
| 名前 |
下植木赤城神社石造美術群 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0270-26-1489 |
| HP |
https://www.city.isesaki.lg.jp/soshiki/kyoikubu/hogo/bunkazaihogo/shitei/sekizou/1748.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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群馬県指定重要文化財。説明文を抜粋すると、古碑殿にある中央の宝塔二基と左側の石幢一基が指定文化財。右の宝塔は観応二年(1351年)、左の宝塔貞治五年(1366年)、一番左の石幢には延徳二年(1490年)の刻銘がある。造立は南北朝時代から室町時代初期。形態は様々、基礎部の刻銘などより、法華信仰が窺え、当時この地方に法華経に伴う信仰が広がっていたことが推測される。貞治の宝塔の基礎部には、「奉造立殖木宮石塔事」として願文とともに、織物と関係の深い奏姓の四人の名を刻んでいる事等特徴である。以前、この神社には芭蕉句碑があると聞いて来たことがあります。句碑は見つからなかったのですが、やはり由緒ある神社なんだなと思いました。